「この世界の片隅に」

日曜日。昧爽起床。晴。
VIPで超高級ラグジュアリな対応を受ける夢を見る。何なんだ…。

NML で音楽を聴く。■バッハの「フーガの技法」 BWV1080 ~ Contrapunctus I - IV で、ピアノはセドリック・ペシャ(NML)。

Bach: Die Kunst Der Fuge

Bach: Die Kunst Der Fuge

  • アーティスト:Bach
  • 発売日: 2014/02/25
  • メディア: CD
シューベルトの幻想曲 ヘ短調 D940、四つのポロネーズ D599 で、ピアノはアルトゥール・ユッセン、ルーカス・ユッセン(NMLCD)。アルトゥールとルーカスではだいぶちがうな。わたしはアルトゥールのピアノの方が好みだ。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282、第五番 K.283、ロンド イ短調 K.511 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNML)。■シューマンの「子供の情景」 op.15 で、ピアノは梅村知世(NMLCD)。■リストの「トルコ風カプリッチョ」、三つの演奏会用練習曲 ~ 第二番「軽やかさ」、「愛の夢」 ~ 第三番で、ピアノはヴァネッサ・ベネッリ・モーゼルNMLCD)。■ハチャトゥリアンのヴァイオリン・ソナタで、ヴァイオリンは木野雅之、ピアノは式守満美(NML)。 
スーパー。ガソリンスタンド。

■レーガーの弦楽三重奏曲 イ短調 op.77b で、演奏はイル・フリボンド(NMLCD)。レーガーって何かヘンだな。おもしろい。■モーツァルトの六つの前奏曲とフーガ K.404a ~ No.1, 2, 3 で、演奏はイル・フリボンド(NML)。

Mozart & Bach: Preludes & Fuges

Mozart & Bach: Preludes & Fuges

ショーソンの「終わりなき歌」 op.37 で、ソプラノはマリオラ・カンタレーロ、他(NMLCD)。■武満徹の「風の馬」で、指揮は山田和樹、東京混声合唱団(NML)。すばらしい。
武満徹:全合唱曲集

武満徹:全合唱曲集

 
おやつに老父の作ったスイカを食った。甘くみずみずしくてうまかった。

暑い。
カルコス。コロナどこ吹く風と結構お客さんが来ていた。祝着である。堅い文庫本をひさしぶりにたくさん買った。

日本書紀の現代語訳を読み始めた。

録画しておいた「この世界の片隅に」を観る。
20200719230540
以下ネタバレあり。
丁寧に作り込んだ、なかなかいい話でした。ただ、ある映画雑誌か何かのその年のベストワンだったというのを聞いていたので、それで予想していたよりは単純な映画でしたが。いたずらに戦争の悪、悲惨さを強調するのではなくて、戦時中の日常生活を丁寧に描きながら、そこで戦争の悲惨さというか、残酷さというのを逆に浮き彫りにしていくような描き方でしたね(絵柄故に、過度に悲惨になりませんし)。あまりすずさんの人生が幸福に描かれすぎないところも、意図されていると思いました。そこは、嫁ぎ先の人たちが皆基本的によい人たちばかりなので(特にすずの旦那さん)、救われています。すずさんの実家が(原爆の落ちた)広島で、嫁ぎ先が(軍港のあった)呉だというのも、よく考えられていると思いました。
 坦々とした時間の歩みに、ドラマ性が吸収されていくというか。だから、人生ってこんなものかなという感想が浮かばないでもありません。結局、戦争であろうがなかろうが、日常は否応なく進んでいくものですし。戦争でも、時間の歩みは破壊できない。だから、やはりこの映画は、確かに戦争の悪や悲惨を描いてはいますが、結果的に強調していないと思います。あるいは、マイルドに描いているというべきか。しかし、逆にいえば、そのような坦々とした日常に、戦争は無理やり入り込んでくるわけですね。当り前のことですが。
 それから、どうでもいいですが、わたしの家はわたしが小学生のときにリフォーム(?)するまで、田舎の百姓屋だったので、描写されている生活(戦争のという意味じゃありませんよ)はわたしにもまったく想像できないものではなく、わずかななつかしさを感じないでもなかったです。あの生活は、わたしの両親なら、子供の頃の記憶としてはっきりとわかることでしょう。

わたしは、戦争の「悪」というものがあるとすれば、この映画で描かれなかった、統合作戦本部にある、秀才たちの囲んだ作戦地図がそれのような気がしてなりません。あそこでは、多数の兵士たちの命は、秀才たちの動かすひとにぎりのコマにすぎません。いまは、それはコンピュータの画面と画像で置き換えられているでしょうし、戦争の遂行そのものもボタンのひと押しになっていますし、あるいはそのうちワンクリックで済むようになるのでしょうか。背後にいるすずさんたちの実生活は、悲惨なのか、それともむしろ救いですらあるのか、わからない感じがします。

しかしわたしはふと思ったのだが、「秀才たちの囲んだ作戦地図」は、いつの時代にもあるのではなかろうか。いまはそれは「透明化」して、誰もそれを「悪」と思っていなくても、それはやはり「悪」なのかも知れない。アナーキズムですかね。そのうち、「秀才たち」も AI に取って代わられるかも知れないしな。それを思うと、いまという時代にこのような映画が高い評価を受けたわけがわかる気がする。