神崎宣武『社をもたない神々』

曇。
よく寝た。印象的な夢を見た。

睡眠の後始末。寝るのがいちばん充実している気がする。バカですね。

障子の張り替え終了。できたできた。

いまにも雨が降りそうな中、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー408円。石牟礼道子さんの続き。何だか悲しすぎる。犬の「ごん太」の話を読んだらさすがに続きは読めなかった。果たして図書館の返却期限までに読めるのか知ら。

帰りにカルコスに寄る。ブログ「本はねころんで」さんの紹介しておられた中公文庫新刊などを見る。中公文庫新刊は全部買ってもよかったのだが、何故か一冊も買わなかった。『成城だより III』の金井美恵子さんによる解説は立派なものだったが、いつもながらわたしには高級すぎる感じ。「成城だより」は「I」だけ単行本でもっているのだが、カルコスに全部揃っていれば文庫本、まとめて買ってもよかったのだけれども。わたしは大岡昇平さんの(文庫本だけだけれど)ずっと忠実な読者だったです。
 岩波文庫新刊はカルコスに入らなくなったと思い込んでいたのだが、そんなことはないようだ。ただ棚の中に入れてしまってあるので、どれが新刊かわからないという。各一冊しか入らないから、平積みにはできないのですね。これは困る。

神坂次郎の続き。

『驢鞍橋』おもしろいなあ。時々二三ページづつ読んでいる。例えばこんなの。自分の死骸の話で、ある人が自分の死骸は見苦しいから袋に入れてとかいうと、師曰く「(前略)慚愧懺悔の法と云うは、我が悪しきところをぶっさらすことなり。またそれほど見苦しきものと知らば、何ぞにくみ捨て給わぬや。死人は結句きれいなり。生き身に増したるむさきものあらんや。目汁、鼻汁、大小便、一つとして清きことなし。内には悪業ばかりを包み置く。さてもむさい糞袋かなと睨み付けて、にくみ捨てられるべしと也。」(p.28、表記はだいぶ変えた。)わはは、まったくそのとおりだけれど、まあそんなことは無理なのが当時であり、現在はさらなり。


神崎宣武『社をもたない神々』読了。著者は民俗学者にして、神社の宮司さんであるという方であり、それゆえの知見が多い。たまたまわたしの老父と同年の方であるから、もうかなりのお年であろう。「もう時機を失したかもしれない。気づくのが遅かった」(p.245)とあとがきにあるが、なるほどそうであったかと思う。本書を読んだくらいでははっきりとはいえないが、しかし著者の郷里の中国地方では、まだかなりのものが残っているのかなとも思った。わたしの住んでいるあたりは、もはや伝統的な習俗の多くが跡形もなく消滅してしまっているし、そもそも古来の伝統という発想がきわめて少ないように思える。つまり、著者のいう「アニミズム」的発想というものが根こそぎやられている感じだ。まあしかし、それこそわたしなどには、詳しいことはわからないのだが。エラそうなことを言いながら、恥ずかしい話である。

社をもたない神々 (角川選書)

社をもたない神々 (角川選書)