雨。
NML で音楽を聴く。■バッハのトリオ・ソナタ第二番 BWV526 で、オルガンはベンヤミン・リゲッティ(NML、CD)。■モーツァルトの交響曲第四十一番 K.551 で、指揮はジョージ・セル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(NML、CD)。■シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」 op.26 で、ピアノはレオン・マッコウリー(NML、CD)。音楽的ですばらしいのだけれど、もうちょっとバリバリ技巧的に弾いてくれてもいい気がする。
曇。
東日本大震災の日。あれから八年か。当然のことながら、このところテレビでは震災関連の番組、報道が多い。わたしは震災復興などに関し浅はかな知識しかもっていないので、そういうことをまとめてある新書本でもあれば読んでみたいと思うのだが。
そういうことは感情的になるべきでないと言われているが、原発再稼働とか原発推進とかいまやふつうに言われることに、どうも腹が立って仕方がない。感情をコントロールできないクズなのであろう。まったく、あるいは東京だって人が住めなくなるギリギリのところだったのだぜ。まあ、わたしの住んでいるところはあまり関係がなかった(しかし、例えば敦賀で原発事故が起きればモロに関係してくる)ので余計な怒りかも知れないが、これは共感力と想像力の問題である。というか、「人間らしさ」の問題ではないか。まあ、日本人に「人間らしさ」はないのだが。
■ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタ op.147 で、ヴィオラはレヴォン・アンバルツミャン、ピアノはアナトーリ・シェルジャコフ(NML、CD)。■メシアンの「鳥のカタログ」 ~ No.10 Le Merle de roche で、ピアノはチーロ・ロンゴバルディ(NML、CD)。■メシアンの「高貴な都」で、指揮はピエール・ブーレーズ、クリーヴランド管弦楽団(NML、CD)。
小雨がパラパラと降る。
カルコス。上に書いたような新書の震災復興本みたいなのを探したが、そんなものはない。震災関連のものすらほぼない(津波災害の本はあったが、自分の求めているようなものではなかった)。店内に震災関連本のコーナーでもないかなと思って探したが、なかった。まあ、もう八年も経っていますからね。コーナーなど作っても無意味なのだろうな。それで店内を歩いていたら、岩波書店の本をまとめておいてある棚ができたことに気づく。岩波文庫、岩波新書、岩波現代文庫、岩波ジュニア新書、単行本などがかなりの量おいてある。まだ作りかけの棚なのか、本の並びはめちゃくちゃだったが。これ以外にも、文庫・新書のコーナーにも置いてあるので、こちらはそのうち引き上げるのだろうか。
知らぬ間に片山杜秀さんの新書本がたくさん出ていることに気づく。現代日本の政治や社会に対する憂国(?)本が多い。量産だなあ。
ついに河出書房も新書を出し始めたようだ。どこも出版社は自転車操業なのだろうな。
結局今日は、某新書・文庫本一冊づつを購入。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。フレンチクルーラー+ブレンドコーヒー378円。小林信彦さんの 2005年のクロニクル・エッセイを読む。たぶんこれ、既に読んでいるが、あまり覚えがない。自分の読書がいかにエーカゲンなものかわかるが、まあ二度楽しめるということなので悪くもない(あとでブログを検索してみると本書はヒットしなかった。何なんだ、わたしは)。読んでいて、昨日が東京大空襲の日だったなと思い出す。さて 2005年というのは小泉政権だったようで、いまでも小泉元首相は「脱原発」とかいって結構人気があるようだが、小林さんは同時代的にそのヒドさにつくづく呆れているというか、怒っているというか。自分も最近そう思うようになったが、小泉政権はおそらく戦後最悪の内閣だった。そのヒドさは、竹中平蔵氏を腹心にしたことに極まるであろう。小泉政権で「構造改革」という、最悪の政策がなぜか必須ということになり、その弊害はいまですら甚大である。そして、竹中平蔵氏らによる日本の「売国奴」的切り売り。まったく、日本中が日本をアメリカのハゲタカファンドに売り渡すために一生懸命になるという、すごい時代であった。あれに比べたら、これも最悪である筈の安倍政権がはるかにマシに思えるというものである。いずれにせよ、日本はへんな国だ。
『精神現象学』新訳を読む。この訳は読みやすいので、わたしでも何とか読めている。ただ、どんどん読んでいくというわけにはさすがにいかないね。僕はそこまで頭がよくない。
読み止めて休んでいるうち寝てしまう。深夜起床。