大岡信『昭和詩史』/長谷川宏『ことばをめぐる哲学の冒険』/プランターにミニトマトを植えた

日曜日。曇。
早起き。
音楽を聴く。■バッハ:フーガの技法 CD4 tr.11-19, CD5 tr.1-3(ミュンヒンガー、参照)。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第四番 K.41 (ペライア参照)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十六番 op.135 (タカーチQ、参照)。うん、この曲のおもしろさがようやくわかってきた感じ。 

図書館から借りてきた、大岡信『昭和詩史』読了。副題「運命共同体を読む」。個人的にはある意味とても役に立ったのだが、客観的には本書をどう捉えたものか。まず、「昭和詩」と云っても、本書の扱うのは、大正の終わりから太平洋戦争までである。戦後詩はまったく含まれていない。かなりよくバランスの取れた詩観に見えるが、とにかく対象に自分が無知なのがいけない。じつに知らないものだ。それを措いて敢て云えば、「公平」というのは感心させられるし、一方で退屈でつまらないところもある。ただ最初にも書いたが、本書はコロンブスの卵的に役に立ったので、それで大変ありがたいということでよしとしよう。それにしても落ち着いた筆さばきで、さすがにプロである。大言壮語なし。岩波文庫新刊の『自選 大岡信詩集』もきっと読もう。

しかし、現在巨大な存在感をもっている宮沢賢治など、同時代的には殆ど何者でもなかったのだな。後世に残るというのはなかなかきびしいものである。残る者は結局残るし、ダメな者はダメだ。
メモ:本書で左川ちかという詩人を知る。Wikipedia

前からプランターで何か栽培しようと思っていたところに、本家(専業農家つまりプロ)がミニトマトの苗をもってきてくれ(って格安でわけてもらったのだが)、畑には多すぎるので、僕が二本苗をもらうことになった。で、昼から植える。事前に一応ぐぐって調べたりはしたけれども、まあテキトーに。別に遊びなので、失敗したらそれも経験だし。とかやっているうちに、母が柿の木に分蜂を発見。まったくどこの大自然か。ウチには色いろ居る。ちなみに、庭は桜に発生して葉を食い尽くした毛虫どもでいっぱい。こういうのがダメな人は、ナチュラル・ライフは無理です。
2016年春・初夏_52 2016年春・初夏_51

図書館から借りてきた、長谷川宏『ことばをめぐる哲学の冒険』読了。うーん、微妙。人畜無害なエッセイ集という他ないのではないか。別にそれはいいのだが、現代にあって哲学者というからには、古典ばかり読んでいないで、例えば 2ちゃんねるに一年間つきあってみるとか、それくらいはしてもバチは当たらないと思う。著者が善意の人であることは疑わないのだが、哲学者ならもっと毒を吐いてもよいであろう。
ことばをめぐる哲学の冒険

ことばをめぐる哲学の冒険

僕は以前、哲学をやると心が汚くなると書いたが、それは悪いことばかりではないような気がしてきた。どのみち、我々凡人の心の中には、汚いものもたくさん詰まっている。世界にも汚いものはたくさんある。「純文学」とか「哲学」というのは、そうしたものをあからさまにしてしまうものだ。繰り返すけれども、それは悪いことばかりではない。

しかし何で msn-bot はこうも頻繁に来るのか。17:58 現在で、今日だけで15回も来ているぞ。いったい何を考えているのか。
RubyOpenGL の続き。成果を HP に追加する(参照)。