肯定の思想 / 大井浩一『大岡信 架橋する詩人』

曇。

自分は生きていて無価値無意味であり、孤立化したアトムとしてマスの中に埋没している。まったく何者でもない。誰も自分を一顧だにしない。しかしそのことと、自分が唯一かけがえのない存在であり、一顆の世界そのものであることは何ら矛盾しない。これら全体を以て自分を徹底的に肯定すべきである。

スーパー。曇っていてもあついー。
「よっこいしょ」ばかり言っている笑。

昼寝。


大井浩一『大岡信 架橋する詩人』読了。後半三章を読む。前半と比べると、大岡も時代を超えられなかったのを感じる。著者も、「他者に開かれた大岡の詩」のような、陳腐で紋切り型の言葉を平気で投入してるし。わたしの問題意識にすぎないが、我々は言葉が洪水のように大量に流通することで摩滅した中、いかに言葉によって沈黙するかという課題を、大岡は最終的にもてなかったように見える。結局、流通する粗雑な言葉を避け、豊かな教養をもって美しい言葉を発していくだけでは、絶望は変えられないのだ。しかしそれでも、大岡のように、「豊かな教養をもって美しい言葉を発していく」ということすら、我々のごとき凡人ではいかんとし難いのである。
 いや、そうはいっても本書はなかなかよい本だった。そして、わたしは大岡信さんが好きであり、このブログでも大岡さんの本について、何度も拙い感想を書いてきた。これからもわたしは、大岡さんを読んでいくだろう。言葉がホワイトノイズと化した中で、その美しい言葉を。

著者は大岡最晩年の「いとけなき日のマドンナの幸ちやんも孫三たりとぞeメール来る」の短歌を称揚しているが(p.232)、こんなものが時代に開かれた詩の証拠であろうか。わたしには初期詩篇の瑞々しさのかけらもない、ゴミのようにしか思えないのだが。


文藝別冊『吉田秀和』を読み始める。吉田秀和さんと武満さんとの対談。

 
夜。
ゆるキャン△』第6話まで見る。