岐阜県美術館で「フランスの風景 樹をめぐる物語」展/池辺晋一郎『言葉と音楽のアツイ関係』

曇。
音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第七番 op.59-1(ゲヴァントハウスQ、参照)。精緻で上品なベートーヴェンである。しかし、自分にはあまりにも知的に過ぎる。ベートーヴェンは生命力の根源に触れていた音楽家だ。もっときたなくてうるさいのだ。こんな「ラズモフスキー」では、ベートーヴェンの嘆く顔が見える(?)ようである。ただし、ゲヴァントハウスQの知的さは大したものである。自分のそれを超えている。まだきちんとゲヴァントハウスQがわかったわけではない。

昼から県図書館。
岐阜県美術館が図書館の隣なので、気になっていた「フランスの風景 樹をめぐる物語」展をついでに観てきた。印象派前後の、樹をモチーフにした絵画を集めている。大雑把な感想を書いておくと、もう自分はいま PC の鮮やかな液晶画面ばかり見ていることを痛感したということになろうか。(印象派も含む)古典的な絵画は、どうもとても地味に感じる。かつてはあれほど内臓にこたえたモネでさえ、あまりインパクトがないように感じられた。しかしこういう体験もおもしろいというか、自分には有益であったわけで、色彩の画よりも、どちらかといえばモノクロームの画の方がおもしろく感じるなと思った。いずれにせよ、画を観るのはすごく楽しい。久しぶりのことだったな。岐阜県美術館がんばれ。
 それから、常設展示がインパクトがあった。ルオーの版画シリーズ「ミセレーレ」の全作品の展示があった。モノクロの、野太いキリスト教絵画たちで、根源的な力強さを感じる。で、いつも観る熊谷守一も、熊谷らしくなってからはルオーに全然見劣りしないこともわかった。ルオーは自分には毎日見たい気を起こさせないが、熊谷は毎日見てもいい。そして、これもまたいつものルドンも素晴らしい幻想絵画で、ここはいいものを集めていると毎回感心する。それから、いままで観た覚えのない土屋輝雄がよかった。日本画家であるが、Wikipedia に項目がない画家だけれど、悪くない。息子の禮一氏は有名であるが、失礼ながら自分は父親の方が好きである。
 楽しゅうございました。また画を見に行こう。

図書館から借りてきた、池辺晋一郎『言葉と音楽のアツイ関係』読了。合唱曲の作曲についての短い講義録の他は、エッセイ集になっている。池辺先生(って僕の先生でも何でもないが、敬愛の情のためこう書きます)らしい冗談満載の軽い口調のエッセイたちであるが、意外と中身は重い。軽い口調ではあるが、はっきりと語られるし、政治的な発言も多い。年配の方々は、日本の行く末を気になされるのであろう、意外と政治的発言が多いものである。まあ、若い人にも政治的発言を好む人が少なくないのはそうだ。池辺先生の話からは逸れてしまうが、このブログにも結構政治的発言を書いた気がするけれど、このところあまりそういう気にならない。日本に関していえば、日本の没落(といっても色いろだろうが)は不可避であると思う、しかし別にそれでどうということもさほどない。ただ、勉強だけはしようとは思っている。


夜は仕事(というかバイト)でバイト代が出たが、帰宅してすぐに生活費として一部徴収(泣)。定期テストが終ったのでちょっと雑談をしていたのだが(親たちには内緒)、いまの高校生たちは何にも知らないな。頭もよくてネット時代だから情報に塗れているのに、何にも知らない。ちょっとびっくりした。音楽家でも、山下達郎大瀧詠一坂本龍一細野晴臣、全員知らなかった。これらは確かにある特定の時代の人たちではあるが、クラシックでバッハ、モーツァルトベートーヴェンを知らないで済まされないように、聴いたことがないというのは恥ずべき人たちである。(もし現代日本の「文化人」とやらで、坂本龍一細野晴臣を聴いたことがないのがいればそれはバカである)。ビートルズはさすがに知っていたが、ビーチボーイズはあやしい感じだった。ジャズやクラシックはもちろん知らない。GReeeeN とか嵐、あとは初音ミクとアニソンが音楽だと思っている。いや、さすがにこれらはサンプルが岐阜の田舎者だから、そしてたまたまそういう個人たちということではあるが、いや、しかしねえ、これが多かれ少なかれ現代日本の普遍でもあるのだ。どんなジャンルでもそうだが、一流ということを知らない。情報がありすぎて、一流がわからなくなっている。そして、どのジャンルでも古典を知らないと何もわからないということがわかっていない。とかなんやかやで、ま、ちょっと雑談しすぎましたねえ。
しかしまあ、上に挙げた四人の音楽家であるけれども、結局ロックだけではなくて、ジャズ(恥ずかしながら自分は疎いです)やクラシックも聴かないと本当のところはわからないのだよね。例えば、山下達郎クラシック音楽で調性音楽の崩壊する際の最終進化系がやったことを、ポピュラー音楽を聴いている中でまったく同じことをやっているわけだ。だから教授(野暮に注しておくと、もちろん坂本龍一のこと)が言っていたが、山下達郎は現代音楽の作曲家になっても、おもしろい存在になっただろうということである。ホント、「クリスマス・イブ」だけではないのですよ。わからない奴はもうどうしようもなくわからないのだ。で知らずにエラそうなことを言うと。まあ、天に唾しないうちにやめておこう。僕も大したことないからね。
世の中には例えばここまで分析する人もいるのですがねえ… ここまでくると自分の付け焼き刃がバレますな。
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