鬼頭昭雄『異常気象と地球温暖化』

雨。寒くて暖房が必要になってきた。
格別な朝。ところで、仲間由紀恵さんと握手する夢を見たのですが。わけがわからない。
音楽を聴く。■バッハ:バッハ:フーガの技法 (tr20〜tr22) (ラインハルト・ゲーベル、ムジカ・アンティクァ・ケルン、参照)。■C.P.E.バッハソナタ イ長調 H.29(ダニー・ドライヴァー、参照)。外部に出る。大バッハとはまたちがって、C.P.E.バッハおもしろい。ハイドンに近い感じ。自分のもたない感性である。もっと聴こう。■ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第三番 op.69 (デュ・プレ、バレンボイム参照)。よかった。■プロコフィエフ交響曲第五番(チェリビダッケ参照)。やはりさすがに得るところが多いな。
Linux では最新バージョンの Adobe Flash Player が使えないみたいだな。今まで気づかなかった。まあ Flash なんかどうでもいいか。
県図書館。
図書館から借りてきた、鬼頭昭雄『異常気象と地球温暖化』読了。よく俗説で大気中の二酸化炭素の量の増加と地球温暖化は関係がないということを言う人がいるが、本書に拠ればやはり関係はあるようだ。また、今すぐ二酸化炭素の人為的な排出を 0 にしても(ということは実際には不可能だが)、これまでの蓄積で温暖化は避けられないらしい。また、現在は氷河期に向かうサイクルであり、平均気温の上昇はあり得ないという意見もあるが、これもどうもそうではなく、少なくとも次の 1000年で地球が寒冷化する可能性はほぼないそうである。等々。
 そして、異常気象と地球温暖化の関係はなかなかむずかしい問題である。というのは、異常気象というのは局地的かつ短期的な概念だからだ。異常気象も、それが続けば異常でなくなる。ただし、気候の枠組みの大きな変化があり、それによってこれまでの傾向が変わってくるということはあり得る。例えば我々の感覚でも、これまでは考えられなかったレヴェルの豪雨が頻発するなど。なお、本書の内容は、長年にわたる観測事実の蓄積とモデル化、そして大規模なコンピュータ・シミュレーションをフルに使って求められた学問的予想に依るものであり、素朴な統計的予測とは一線を画したものである。気象モデルは非常に複雑なものであり、その因果関係は錯綜している。単純な統計的有意性だけで語れるものではない。よく云われる「数千年に一度の災害」というような統計的な言い方は、ミスリードの可能性があることに留意すべきであろう。


フランスでまた衝撃的な「テロ」事件が起きた。これは、暴力の応酬に終わりがないことを示している。問題を暴力に依らずに解決するという意志がないかぎり、この暴力の連鎖は永遠に続き、永遠にエスカレートし続けるだろう。いまや日本も「大国としての責任」を口にし、事態に関わる姿勢を積極的に示しており、このような暴力の連鎖の世界に進んで参加しようとしている。それにしても、お互いがお互いの「正義」を掲げて暴力にいそしんでおり、虚しいことである。「正義」は必要なことではあるが、一切よいものを齎すことはない概念だ。まさしく、原罪がある、人は最初から罪人であるというキリスト教徒の考え方が正しいのかも知れない。もっとも、キリスト教徒だけは十字架に架けられたキリストのおかげで、その罪から救われるのであるという構造になっているのであるが。ケチ臭い宗教であるという実感は否めない。
 それにしても、冷戦が終ったあと、二十一世紀がこんな世紀になるとは思ってもいなかった。まだ冷戦期の方がマシだったのかも知れない。