松浦寿輝『BB/PP』/宮地弘子『デスマーチはなぜなくならないか』

晴。めずらしく霧が出ている。
音楽を聴く。■バッハ:組曲イ長調 BWV832(アンジェラ・ヒューイット参照)。■レーガー:シャコンヌ ト短調 op.117-4、バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番 BWV1004 (庄司紗矢香参照)。レーガーは題名を見てもわかるように完全にバッハを意識しているわけだが、なかなかすごいところまで到達している。これは庄司の演奏も後押ししている。だから、このアルバムのようにバッハと比較されてしまうのはどうかとも思う。ちょっとレーガーには不利なのではないだろうか。バッハはシャコンヌを含むパルティータ第二番である。庄司は思ったより抑制気味であるが、サラバンドあたりからエンジンがかかってくる感じだ。で、論じないわけにはいかないシャコンヌである。結論的に言うと、自分には最上のシャコンヌではない。けれどもそれは庄司のせいというよりは、もっぱらこちらのせいである気がする。言うまでもなくこの曲はバッハの最高傑作のひとつである。そこで、庄司は神がかった、鳥肌の立つような演奏の最中でも、楽々とギアを変えていく。こちらとしては驚くというか、何か聴いてはいけないものを聴く気がする。これまで何度も口にして気が引けるが、天才というしかないのである。深い余韻が残るというよりは、何だか戸惑わされた部分も大きい。しかし、これは繰り返し聴きにくい演奏だな。心臓に悪い。■ハイドンオーボエ協奏曲ハ長調 Hob.VIIg-C1 (ラヨシュ・レンチェス、ネヴィル・マリナー)。

Oboe Concertos

Oboe Concertos


昼から県営プール。餃子の王将
図書館から借りてきた、松浦寿輝『BB/PP』読了。短篇集。言葉の通俗的な意味でおもしろかった。僕は通俗も好きである。表題作は短すぎるのが残念なくらいだ。チープなSF的ガジェットをもっと配置して、ポルノグラフィックな描写を強くし、長さを増やせば、もっと素敵な小説になると思う。これを雛形に、長篇化してみてはどうかとすら思う。
 他の短篇もなかなかだった。下らないのもあったが、記憶というものそのものをモチーフにした短篇が多く、作者のこだわっているところが察せられる。この人の著書はきらめくような純文学的受賞歴で覆われているが、もっとエンタメ化していいのではないか。おふらんすはつまらないと思う。それにしても、市図書館には松浦寿輝好きが居るのか、結構入っているのだよね。驚く。
BB/PP

BB/PP

宮地弘子『デスマーチはなぜなくならないか』読了。僕は中年になってからプログラミングをするようになった永遠の素人であるが、以前から日本の IT業界の特殊な労働環境には多少の興味をもっていた。もちろん個人的には業界に何の関係もないが、IT業界の殆ど異常な労働慣行には、驚かない方が不思議なくらいである。これまでこの問題に関し一冊の新書もないのを奇妙に思っていたところ、本書が出たので期待して読んだ。正直言って、自分にはよくわからない本だというのが感想である。まず、本書ではデスマーチが正確にどういう現象なのか、その事実がよくわからない。著者は二人のプログラマへのインタビューでそれを語ろうとしているが、少なくとも自分にはよくわからなかった。像をくっきり結ばないのである。もうひとつ、著者は社会学者として科学的な記述を目指されたのであろうが、自分が思ったのは、「要するにデスマーチは悪いことだとして、じゃあ誰が悪いの? 何が問題なの?」ということである。著者はおそらく、誰が悪いとかいう問題ではないと仰るのではないかと推測するが、自分には暗黙の内に「プログラマが悪い」と結論づけられているようにも見えてしまう。著者はデスマーチは快楽ですらあるとはっきりと述べられているが、そうなのだろうか。それに、ネットに溢れているプログラマたちの怨嗟の声は、業界をよく知らない、あるいはプライドの高い愚か者の発する声で、じつは彼ら彼女らが悪いとでも言うのであろうか。いや、こんなことを書いても無意味である。著者は、そんなことは自分は言っていない、それは曲解だと仰るだろうから。とにかく、自分にはよくわからない本だった。しかし、先を知りたい欲求で一気に読了したことは記しておこう。とにかく自分はこの業界についてはよく知らないので、見当外れのことを言っているかも知れない。でも、『なれる! SE』のシリーズなんかはよくわかるのだけれどね。著者はラノベなんか読まないかも知れない。