原武史『思索の源泉としての鉄道』

雨。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第十一番K.331(アンドレアス・シュタイアー、参照)。どう考えてもやり過ぎだろう。趣味が悪すぎ。■ラフマニノフ:二台のピアノのための組曲第二番op.17(アルゲリッチガブリエラ・モンテーロ)、マヌエル・インファンテ:Danzas andaluzas(カリン・レクナー、セルジオ・ティエンポ、参照)。ラフマニノフはいい曲だな。甘くて通俗的と云われるかも知れないが、こういうの、好きである。それにしても、アルゲリッチは超一流。さすがにちがう。

Perl 遊び。
原武史『思索の源泉としての鉄道』読了(電子書籍版)。シリーズ四作目の「鉄道ひとつばなし」に当たる。今回のタイトルは、政治史家としての著者を強調するという意図があるのだろうか。個人的には多少の懸念もあったが、読んでみれば在来の「鉄道ひとつばなし」の良さは失われていないと思う。今回の特徴は何と言っても東日本大震災の後であるということで、それに関係する話がとても多い。鉄道の復旧ひとつ取っても、三陸鉄道の使命感あふれる態度と、JR東日本のやる気のなさが、あざやかな対照を示しているところが印象的だった。JR東海などにも共通する態度だが、鉄道事業を金儲けのことからしか見ていないのである。
 それ以外では、気にし過ぎなのかも知れないけれども、地方の衰退がますます進んでいることが、本書の通奏低音のひとつにあるように感じた。日本という国が、地方から段々壊れていっているような。文体のせいかも知れないが、さみしい気分に覆われているような感じがする。それは、鉄道というものが、どちらかと云えば衰退産業であることのせいかも知れない。
 それから、著者の文章の上手さについては、自分は今回初めて気がついたようである。上にも書いたとおり、何故かちょっとさみしい印象を与える、いい文章だと思う。原さんのファンには、何をいまさらと云われることであろう。


資本主義末期の国民国家のかたち - 内田樹の研究室
内田樹、やっぱりおもしろいな。これを読んでいると、どうしてアカデミシャンがかくも内田樹を嫌うか、わかるような気がする。内田樹の発想は、教科書に書いてないのだよね。自分も、教科書すら理解できないくらいなので、内田樹の言っていることはむずかしい。しかし、本当に素人の強みだと思う。そして、大きな真実がわかるのは、素人だけなのだ。

映画監督のオリバー・ストーンが、2013年に日本に来て、広島で講演をしたことがありました。これも日本のメディアは講演内容についてはほとんど報道しませんでした。オリバー・ストーンが講演で言ったのはこういうことです。
日本にはすばらしい文化がある、日本の映画もすばらしい、音楽も美術もすばらしいし、食文化もすばらしい。けれども、日本の政治には見るべきものが何もない。あなた方は実に多くのものを世界にもたらしたけれども、日本のこれまでの総理大臣の中で、世界がどうあるべきかについて何ごとかを語った人はいない。一人もいない。Don’t stand for anything 彼らは何一つ代表していない。いかなる大義も掲げたことがない。日本は政治的にはアメリカの属国(client state)であり、衛星国(satellite state)である、と。これは日本の本質をずばりと衝いた言葉だったと思います。アメリカのリベラル派の人たちのこれが正直な見解でしょう。

こういうことを云われるのは、本来は日本人には恥ずべきことであろうが、いまの日本人を考えると、これを聞いて恥ずかしくなる人は多数派だろうか? 自分にはそんなに恥ずかしくも思えない。そこまで日本に同一化できないからだ。むしろ個人的には、努力して愛国者になるということを、考えねばならないと思っている。無邪気なアナーキストでいられれば、いちばんラクなのだろうが。