大島堅一『原発のコスト』/八代尚宏『規制改革で何が変わるのか』

日曜日。ようやく休み。酷暑。
カルコス。
二時間以上、昼寝してしまった。疲れていたのかなあ。

大島堅一『原発のコスト』読了。原発は思想的にも止めるべきだが、コストの面から見ても割に合わないことを、本書は教えてくれる。今まで原発が安上がりだとされてきたのは、バックエンド・コストを勘定に入れていないこと、そしてもし大きな事故が起きてしまえば、直接の事故処理費用に加え、巨額の賠償が必要になることを考慮していないためである。これらはまあ既によく知られていることであり、本書に特に意外な記述はなかったが、学問的にきちんと考察するというのは大切なことだ。とにかく、様々な人に読んでもらいたい本である。
 しかし、不思議に思うのは、政府・官僚も経済界も、どうしてこんなに原発固執するのか*1。そちらの方が不可解な気もするくらいだ。彼らの頭の中では、原発がどのように想像されているのか。精神分析的な問題だと思うくらいである。

原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)

原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)

八代尚宏『規制改革で何が変わるのか』読了。全面的な規制緩和策推進論である。議論は論理的でよくわかるものが多いのだが、規制緩和は体力のある大手企業に有利であり、結局市場は大手企業の寡占乃至独占になって、必ずしも消費者に有利ばかりではあり得ない、という問題に関し、一言の言及もなかった。まったく無視されているというのは、こういうことは事実ではないのだろうか。素人の勘違い? 少なくともアメリカでは、こういうことになっていると思うのだが。その点、自分は全面的には納得できなかった。論破されるのなら、根底から論破されたいものである。
 それから、こんな議論がある。「タクシーの参入規制の撤廃で多くの新規事業者が参入したことで、既存のタクシー運転手の所得が大幅に減少したことが『行きすぎ』といわれる。しかし、これは新規に運転手として働けるようになった労働者の利益や、台数が増えたことによる利用者の利便性の向上を無視したものである。」(p.170)著者はこれで論破しているつもりのようだが、自分にはこれは簡単に全面的に承服できる議論には到底思えないのである。もともとそれほど多い収入があったわけでもないところに、規制緩和のお陰で所得が「大幅に」減ってしまったというのは、大きくもないパイの配分を極端に減らされたわけで、それを新規参入者のために甘受しろというのであろうか。なんでも簡単に一律に言えないからこそ、この問題は「行きすぎ」と云われるのではないのか。ましてや、規制緩和の「中途半端」という矛盾で、著者も認めているように、「供給が大幅に増えたにもかかわらず、タクシー運賃がまったく下がらず、むしろ引き上げられた結果、利用者がまったく増えなかった」(p.170-171)というのだから、何をやっているのだろうか。だいたい著者は、どうしてそれが「中途半端」になったのか、想像したのだろうか。運賃を下げれば、恐らく既存業者の少なからずが廃業していただろう。そして自分が上に述べた、既存業者が大手に取って代わられるという結果になっていただろう。著者はまさしく、そうあるべきだと、暗に主張していることは明らかである。そこらあたりが、敢て本書では語られていないところなのである。
市場、市場、市場! 競争、競争、競争! 不断の競争で価格は安くなり、消費者のためになる! そして僕たちは、忙しくなって疲れた体をショッピング・モールに運び、下がった給料で軽くなった財布からお金を出して、安いものを買うのだ! 消費者の「利便性」、ばんざい!

*1:最近自民党の石破幹事長が述べていたとおり、原発によるプルトニウムの製造で、核武装のの潜在的な可能性を確保するということはあるだろうが、そのためのプルトニウムの量は、既に必要な規模を充分超えているというのが事実だ。