松家仁之『火山のふもとで』/玄侑宗久『光の山』

晴。
ラーメン「まっしぐら」にて昼食。チャーシューメン800円。

博多ラーメン まっしぐら

食べログ 博多ラーメン まっしぐら

食べログでは口コミの評価が分かれているけれど、開店15分後に入った自分が初めての客だというのが、すべてを物語っている。近くには、開店と同時にすべての席が埋まるラーメン屋が何件もあります。ここは、麺もスープもその他それぞれは悪くないが、全体のまとまりが悪い。麺とスープがからまないし、キクラゲが多すぎるのも神経が行き届いてない。麺の量も少ない。って評論家みたいなことを書いたが、まあ他店が混んでいるので、マズくてもまた行くかな。アバウトですね。

図書館から借りてきた、松家仁之『火山のふもとで』読了。落ち着いた雰囲気の、建築事務所が舞台のラブ・ストーリーとでも云うか。まず印象的なのは、透明な水のような文章だ。しっとりした肌触りの、誇張のない描写が気に入る人も多いと思う。話の流れは、悉皆イノセントな感じを与えるのが長所でもあり、同時に短所でもあろう。悪い人、嫌な感じの人はひとりも出てこないし、大学を出たてのイケメンの主人公も、じつにいい人。自分のように、文学にどこか毒を求めてしまう悪い人間には、もったいない小説だった。話の展開もほぼ予想通りで、正直言って途中からは筋を追うのが中心になってしまったが、普通の小説好きの人には大切な作品になってもちっともおかしくない出来だとは言っておこう。著者もたぶんすごくいい人なのではないかと予想される。なお、建築関係のディテールは自分のよく知る所ではないが、著者の建築観もどうもナイーヴなように感じた。こんないい人ばかりで、建築が創れるものなのであろうか。まあ、よく知らないことなので、偉そうなことを云うのはここまでにしておこう。
火山のふもとで

火山のふもとで

図書館から借りてきた、玄侑宗久『光の山』読了。玄侑さんが好きだという人は、ネットでも見たことがないのだが、自分は好きだ。いま新書なんかを書いている禅坊主は、(安永祖堂老師を除き)だいたい偽物と判断していいが、玄侑さんはそういう輩ではない。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、福島在住の僧侶として、作家として、いいものを書いて下さったと勝手に思っている。ツイッターで有名になった詩人とか、震災にかこつけて歌集や句集を上梓した俳人などとは、玄侑さんは出来がちがう。自分は感動したとかは書かない。もう何を書いて下さってもいいのである。ここにあるのは短篇集の体裁だが、じつは文学ですらないかも知れない。文学など興味のない人に、本書は手にとってもらえるといいと思う。結局、死ぬということは簡単で、生きるというのはむずかしいのだ。生き残れば、またどうしても生きてゆかねばならないから。
 なお、玄侑さんはその経歴から、今回の震災では政府関係の委員とか何とかも引き受けられ、敢て組織の中で動かれたことも多い。実際、非常に多忙であり、その中で無力感や怒りも覚えられたようであるが、本書の短篇はそうした中で書かれたものである。恐らく普通に本書を読めば、そんな感じは到底しないのではないか。
光の山

光の山