ゴダール『気狂いピエロ』/トロツキー『ニーチェからスターリンへ』/辻井伸行のショパン・アルバム

晴。
レンタル店。
ジャン=リュック・ゴダール監督『気狂いピエロ』のDVDを観る。いやあ…そういう結末だったのか…悲しいなあ。これってたぶん、映画が撮られた当時は刺激でいっぱいだったのだろうが、今のどぎつい映像を見慣れている目には、なんだか坦々としている感じだった。話の背景をぼかして、スピード感を出しているのは、これはもちろん意図的なのだろうな。それから、音楽の使い方がなかなか恰好いい。今さらこんな名作を素朴に観ていて、恥かしいですが。ゴダールについては既に散々語られているからなあ。

気狂いピエロ [DVD]

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トロツキーニーチェからスターリンへ』読了。
ニーチェからスターリンへ―トロツキー人物論集 1900‐1939 (光文社古典新訳文庫)

ニーチェからスターリンへ―トロツキー人物論集 1900‐1939 (光文社古典新訳文庫)

辻井伸行ショパン・アルバムを聴く。辻井は恐らく、ピアノを美しく鳴らすという点においては、既に世界的なレヴェルに達しているだろう。また、楽曲の解釈という点でも、実によく練り上げられている。しかし、しかしなのだが、このアルバムを聴いていて、これほど「画竜点睛を欠く」という言葉が思い出される演奏も少ない、と思わざるを得なかった。先日聴いたラフマニノフでも感じたのだが(id:obelisk2:20101021)、辻井の演奏はbitterな感覚に乏しい。何というか、楽天的というか、どうにも「健康的に」過ぎるのだ。このショパンでも、バラード第一番やマズルカを聴いていて、「ショパンはこんなにつまらなくない」という感を抑えることができなかった。もっと鬱屈(?)しているのが本来の姿だと思う。
 まあしかし、辻井はまだ若いのだ。もちろん、この演奏を聴いて感動する人がいるだろうというのもわかる。洵に音楽的だから。とにかく辻井には期待させられるところがある。これからも、自分はきっと聴いていくことになるだろう。
 以上に関係して思うのだが、日本人がクラシック音楽を演奏するというのは、なかなか問題を孕んでいることである。いかに美しく、音楽的に演奏しても、その演奏家なりのエモーションがないと、西洋人の聞き手は一顧だにしないだろう。西洋というのは、或る意味「個性」の文明だとも云えるだろうから。もちろん、西洋人に認められなくてもよい、という考え方もあるだろうが、井の中の蛙ではやはり詰まらないだろう。西洋でのコンクール優勝というのも、「まずよくできました」くらいのものである。辻井は本当にいい素質を持っていると思うから、うまく伸びてほしいと思わずにはいられない。
マイ・フェイヴァリット・ショパン

マイ・フェイヴァリット・ショパン