日曜日。晴。
スーパー。日差しはあるが外気8℃で「寒の戻り」、寒い。入口にペットボトルや牛乳パック、食品トレイなどを回収するボックスがあるのだが、その場で分別している人がいた。
たまたま飲み物など液体類が多く、えっちらおっちらと運ぶ。2Lペットボトルのアクエリアスなど、それだけでつまり 2kg あるということだからな。他に、トマトジュースや醤油、ボトルワイン、(1Lパックの)牛乳×2 など。
なんか、昨日からずっと PC の前に座っていたからな、あたり前だが、ネット上にリアルな人間はいない、ただ文章や画像や音声や動画といった「情報」があるだけだ、って、つまり、どっか人がいるところへ行かないとな、ってこと。ま、豊かな自然があれば、その中へいったっていいんだが。

ホトケノザ(仏の座)、2.28 の散歩中に。
昼。
寒いので、半田めんを湯だめうどんにして食べる。濃いめのつゆで、薬味におろし大根と(チューブ入りの)きざみゆずの他、生姜とネギをたっぷり入れ、その辛味がうまい。どれだけでも食べられそうだ。
風が強い。
『迷い猫オーバーラン!』(2010)第12話(最終話)まで観る。原作は松智洋によるラノベ。もう観ているだけで恥ずかしいという、昔の萌え豚向け美少女ラブコメアニメだ。萌えアニメはあんまり観たことがないけれど、これは観られた。クッソバカバカしいのがいい、随分心なごませてもらったな。最後はちょっと感動的で、そしてこれからもいつもの日常が続く、って感じ。
主に寝る前に観ていたのだが、リラックスしすぎていつも寝落ちしてしまうので、最後は昼間にまとめて観た。このアニメの恥ずかしさは、OP に凝縮されているよね、ちゃんと飛ばさないで観たよ。
メインヒロインの文乃がいまや絶滅危惧種である純粋ツンデレで、いわゆる「暴力ヒロイン」。ツンデレで暴力ヒロインはホントにいまいないよな、昔だと、『ゼロの使い魔』のルイズとかが、まさにそれだったんだが。作画も悪くない、ヒロインが三人ともかわいかったね。まあ、わたしのような幼稚な人間しか観られないアニメだと思う笑。
#
珈琲工房ひぐち北一色店。めずらしく駐車場がほぼ満杯だった。ここはコーヒーが一杯600円もするが、受け入れられてるようだな、慶賀である。今日のもおいしかった。
太子堂正称『ハイエク入門』(新書本2025)を読み始める。入門書だが、400ページ以上もある本格的な新書本のようである。
わたしはハイエク(1899-1992)について、ほぼ何も知らない。知っているのは、著名な経済学者であること、新自由主義(リバタリアニズム)の代表的な論客であることくらいで(しかし本書によれば、ハイエク=新自由主義者というのは、誤りだそうである)、有名な『隷属への道』をかつて購入して読んだことはあるが、いまではそれについて何も覚えていない。
という程度の理解しかもたないが、本書はなかなかにおもしろい。第二章まで120ページほど読んだが、同時代の天才・ケインズとの学問的対立と交友については、じつに興味ぶかかった。自負の強いケインズは、傲慢というか、おそろしく辛辣な人間だったが、ハイエクのようにその知的能力を認める人間に対しては、そうでもなかったことが、活写されている。
また、ハイエクの育った二十世紀初頭のウィーンの沸き立つような知的雰囲気も、これまた興味ぶかかった。ハイエクと直接の関係はなかったが、フロイトやマーラー、クリムトなどがその雰囲気の中で仕事をしている。狭い都市が、大きく世界を動かす知的可能性をもっていたわけだが、これこそ、フラットでグローバルな現代の世界が失ってしまったものであるかも知れない。現在の知的可能性といえば、IT であり AI であるが、これがはたして「知的達成」と、いえるものなのであろうか。古くさい人間であるわたしなどには、疑問にも思われる、まあ、どうでもいいが。
ま、わたしは多くを望んでいないのだが、それと切り離しても、俊才たちによる知的沸騰とは、心おどることである。そうそう、二十世紀最重要の哲学者ともいわれるウィトゲンシュタインは、ハイエクの遠縁の親戚であるそうだ。それほど突っ込んだ話はしていないそうだが、実際に何度か会話をしたこともあるという。そう、ウィトゲンシュタインは変人で、俗物たちと接触するのを極度に嫌い、自分の殻に固く閉じ籠もる人であったからな。
夜、早寝。
