こともなし

曇。
10時間以上眠る。ひさしぶりに印象的な夢を見た。堤防の大きな桜の樹に、着物を着た女の死体が引っ掛かっている。黒髪ロングで、着衣は乱れていた。
 
九時頃から雪。ヒヨドリたちは囂(かしま)しい。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン交響曲第四番 op.60 で、指揮はマリス・ヤンソンスバイエルン放送交響楽団NMLCD)。
 
昼。雪、降り続ける。
モーツァルト弦楽四重奏曲第十四番 K.387 で、演奏はズスケ・クァルテット(NML)。すばらしい演奏。生き生きしていて、上品で、最初の五秒で耳を欹てさせられる。名曲の申し分ない演奏だ。ズスケ・クァルテットは初めて聴いたが、こんなにいい団体だったとは。

String Quartets No.14/15

String Quartets No.14/15

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■バッハのヴァイオリン・ソナタ第一番 BWV1014、第二番 BWV1015 で、ヴァイオリンはレイチェル・ポッジャー、チェンバロトレヴァー・ピノック(NML)。よい。 
雨。
何となく蓮實重彦の『物語批判序説』(元本1985)を拾い読みする。おもしろい。かつて読んだときはよくわかっていなかったと思うが、いまは一字一句、ことごとくわかる(ように自分で錯覚している)。これは、健康でとびきり優秀な知識人による、冷笑の正当化ともいえるだろう。君たちはことごとく「説話論的磁場」に捕われ、与えられた「問題」を「自分の言葉」で論じているように思い込んでいるが、じつはそれは「他者の問題」であり、他者の言葉を無自覚に垂れ流しているのみ。比較的冴えた者も「才能」もいくらでも存在するが、それは「説話論的磁場」に絡め取られて口が回っているだけだ。てな感じで、メタポジションから冴えた言説が繰り広げられている。まあ、おっしゃるとおりというしかない。ネット環境は事をさらに加速させたというべきだろう。
 わたしはといえば、その様々な「説話論的磁場」に捕われ続け、頭がよくないから苦労してそれを解体し続けているだけだ。ひとつの病い、それを苦痛に耐えながら延々と反復している。まことに、愚かしい次第である笑。優秀な人たちは結構であるな。『物語批判序説』、「II」は最後まで読んだ。そういや浅田さんは、「ノリつつシラケ、シラケつつノル」とかなんとか仰っていたっけ。結局本書も、自意識を避けているようで、めっちゃ臆病かつ知識人的に自意識過剰にも見える。「作者」あるいは「作者の死」に対するその繊細な態度もそうだ。なんというか、過剰防衛というか、めんどうくさすぎるな。我々バカは、そんなことはどうでもいいのだ。
 
しかし、「冴えない彼女の育てかた」なんていう下らないアニメを観てボロボロ泣いているキモいおっさんのいうことが、どれだけ信じられるというのか。もう何も信じられない!