森まゆみ『町づくろいの思想』

曇。
 
NML で音楽を聴く。■バッハのブランデンブルク協奏曲第五番 BWV1050 で、指揮はベンジャミン・ブリテン、 イギリス室内管弦楽団NMLCD)。■ヤナーチェクの「草陰の小径にて」第一集で、ピアノはスラーヴカ・ペホチョヴァー(NMLCD)。
 
 
村上春樹1Q84』(2009)を読み始める。すばらしい書き出し。一発で引き込まれる。ここにあるのは何もかもウソだ。フィクションとしても、ニセモノといっていい(だろう)、フィクションにも真性さが必要だとすれば。わたしの好きな、アニメのように幼稚で、ペラペラに薄っぺらいといっていい。それが、まったく思ってもみなかった領域を接続し、読者に愉悦を与える。新しい領土が、掘削される。これが我々の生きている時代だ、とでもいうように。

いまの時代の無意識を掘り当てている人は、何だこんなものと思うかも知れないな。しかし、わたしはそうでない。先が楽しみだ。
 
 
昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エビグラタンパイ+ブレンドコーヒー404円。
武満徹著作集5』を読み始める。「夢と数」を読み終え、「歌の翼、言葉の杖」(武満徹対談集)に入る。音楽家にもかかわらず、武満さんの言葉の力はすごいもので、帰りは風景がことごとく精彩を放って見える。それは、次第に衰え、消えていくのだが。まったく、カンフル注射でも打ったかのようで、そのときは効くのだが、わたしの凡庸さの前に長続きしない。いまの時代文化のどこにリアルがあるのか、わたしは探し求めている。 
帰りにカルコスへ寄る。柄谷行人の新刊『力と交換様式』があれば買おうと思っていたら、数冊平積みになっていた。ここでどれだけ売れるのだろうか。近年の柄谷行人は「全面的に幼稚化した現実」と切れてしまっており、わたしにはあまり興味がもてなくなってきているのも事実だが(何様)、現実と切れたからといって世界を変える力がなくなっているとは限らない。という一抹の希望で、本書を購入してみた。果たして、柄谷という老人の自慰行為以上のもので、あり得るか。わたしの世代は柄谷、蓮實に浅田というところだったのだが、蓮實はひどく衰えたし、浅田さんは存在感がなくなっている印象だけれど(何様)。わたしは、思想家ではなく、かつての文芸評論家としての柄谷行人が好きだった。あとは、河出文庫新刊の鶴見俊輔不定形の思想』を買う。
 
 
図書館から借りてきた、森まゆみ『町づくろいの思想』(2012)読了。まあ、こういう人も必要か。しかし、東京の「文化人」という他ない。確かに立派ではあるが。 
 
夜。
U-NEXTで「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(2021)を観る。一時代を画したエヴァンゲリオンも、ついに完結したか。最初のテレビ版は1995年か、わたしは学生だったが、リアルタイムでは観ていなかった、というより存在自体知らなかった(下宿にテレビもなかったし)。その頃に颯爽と登場した、東浩紀さんの著作経由で知ったのだったか。レンタルでテレビ版を観たのは随分と後のことで、それもあってか全然ハマらなかったし、その後もハマることはなかった。新劇場版なども、確か去年にまとめて観ただけ。本作も、何かやたらと複雑で、大袈裟で、わけわからんという感じだったし、かなり気持ちが悪かった(特に碇ゲンドウのヘタレぶり)。とにかく2時間半、長くて苦痛でした。絵がすごくきれいだったのは確か。