赤坂憲雄『岡本太郎という思想』

曇。

NML で音楽を聴く。■ハチャトゥリアンの「七つのレチタティーヴォととフーガ」で、ピアノはシャーリーン・ファルジア(NML)。

Khachaturian: 7 Recitatives & Fugues & Children's Albums Nos. 1 & 2

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  • 発売日: 2021/03/12
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ボロディンピアノ三重奏曲 ニ長調で、演奏はブラームス・トリオ(NML)。初めて聴く曲だが、なかなか悪くない。もっと演奏されてもよいのではないか。
History of the Russian Piano Trio, Vol. 3

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  • 発売日: 2021/03/26
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■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第一番 op.27-1 で、ヴァイオリンは千住真理子NML)。ちょっと聴いて演奏者の没入が足りないのかなと思ったが、いやいや、これはこれで知情のバランスの取れた、得難い演奏であることがわかった。この曲集は弾くだけでなく聴くのもむずかしいので、曲がよくわかっていないわたしにはありがたい。日本人らしいよい演奏だと思う。武満徹の「ソリチュード・ソノール」で、指揮はマリン・オールソップ、ボーンマス交響楽団NMLCD)。
 
昼からごろごろ。
肉屋。外気18℃。曇っても暖かくなった。


赤坂憲雄岡本太郎という思想』を読み始める。第五章まで読了。太郎のいう「たくましい生活」なんてものがわたしにあるか? いや、あるまい。ただ一日中部屋でごろごろしているだけだ笑。近頃は、ネットを見るのもだいぶ面倒になったくらいである。それゆえの、わたしの空疎さか? まあ、そうかも知れない。いったい、わたしの中に何があるというのか? しかしこれもまた、ひとつののっぴきならない「生活」なのだとわたしは思っている。わたしは、この極めて貧しい「生活」の中に、とりあえず亀裂を発見していかねばならない。

岡本太郎という思想 (講談社文庫)

岡本太郎という思想 (講談社文庫)

我々の人生はいまや既存の、出来合いの物語で充満している。それが太郎の知らなかったところだ。太郎は、わたしのすさまじいまでの精神的貧しさを知らない。当たり前だが笑。だからどうということもないけれども。

赤坂憲雄岡本太郎という思想』読了。本書の縄文土器ケルトの組み紐文様に惹かれる。縄文に惹かれる弥生的感性。太郎は弱々しく洗練された弥生的感性がひどく嫌いだ。残念ながらわたしはまさにそれだと自己認識している。別にいたずらに卑下しているわけではない。それが事実だというまでだ。

ゼロの使い魔 三美姫の輪舞』最終話まで見る。

 
ブログ「本はねころんで」さんが谷崎の『細雪』について書いておられるのを読んで、いろいろもやもやと思い出した。さて、わたしはいつごろ『細雪』を読んだのだったか。『細雪』を細かく味わえるような人生上の体験をわたしはしていないが、それはそれでおもしろく読んだことは覚えている。古い、活字の随分小さな新潮文庫の三冊本であった。いまとなっては中身はよく思い出せないが、有名な洪水のシーンは記憶に残っている。のちに阿部和重さんの大作『シンセミア』について、その洪水のシーンが『細雪』から取られたというのを読んで意外に思ったことがある。もちろん、『シンセミア』は谷崎とはまったくちがう世界だ。
 わたしが初めて読んだ谷崎は、たぶん『陰翳礼讃』であろうか。これは、丸谷才一の『文章読本』にあったから読んだ気がする。あと、印象的だったのが、未完の『乱菊物語』。室町時代が舞台だが、空想上の動物が出てくるなど、ファンタジックなエンタメで、わたしは谷崎の凄みのある痴情小説よりも、こういうものの方が好きだ。これは澁澤龍彦経由で読んだもので、かつてはこんなものが文庫本(中公文庫)で出ていたのだ。いや、いまも現役なのかな? よく知らない。
 個人的に落とせないのが谷崎の現代語訳した源氏物語だ。これは頑張って学生の時に読んだ筈である。これも文庫本。源氏物語を原文で読む力はわたしにはないので、結局は谷崎訳(「新新」訳だったと思う)とマンガ『あさきゆめみし』で読んだだけである。いまは、いろんな人の現代語訳がありますね。谷崎訳は嫋々とした文章であるが、吉本さんは与謝野晶子訳が原文の調子に近いと仰っていた。それで与謝野訳も読み始めたことがあるのだが、途中で消滅しました笑。与謝野訳は、まだ文学者が自分の教養で源氏物語を読めた時代というのか、なので間違いも少なくないらしいけれども、原文の精神を映しているということなのかな。そういえば、日本初のノーベル賞受賞者である物理学の湯川秀樹先生も、源氏をふつうに原文で読まれている。どうでもいいけれど、わたしは学生の時、ゼミで湯川先生のπ中間子の論文を読んだことがあります。わたしは、残念ながら物理学者にはなれなかったけれど。思えば、大学を選んだのも湯川先生や朝永先生に憧れたからでした。そんな時代もありました、わたしにも。
乱菊物語 (中公文庫)

乱菊物語 (中公文庫)

ああ、そういや、河合隼雄先生に『紫マンダラ』という源氏物語論があったな。これ、論旨をほとんど覚えていないや。『明恵 夢を生きる』とこれは、もう一度読み直さないと。