こともなし

晴のち曇。

アンリ・ピレンヌを読み始める。

浅田さんは「マンダラを引き裂いて」ということを言っておられた。もちろん批判乃至非難であり、あるいは中沢さんへの当てこすりでもあろうか。ここではマンダラというものがたぶん予定調和的な、スタティックなものとして捉えられているのだろうし、それならば現在の知識人的な価値観として確かにネガティブである。けれども、本来的なものとしてはマンダラは決してスタティックなものではなく、綜合しさらにそこから一歩踏み出していくにはむしろ不可欠なことだ。創造の原理でもあるといっておかしいことはない。浅田さんに話を振れば、氏は極若い時に『構造と力』で一種の綜合を刻みつけた以降は、本質的な発展はなく(かつて自分でも仰っていた筈であるが)孜々としてクリティックに勤しんでこられただけといえるかも知れない。そちらの方が、わたしにはむしろスタティックな印象を受ける。最近の氏の活動を見ていると、といってもほとんど知らないが、氏にしては何だかひどく凡庸で無害なことばかり仰っているのがショックですらある(これはわたしにとってのこと)。もっとも、「本当の」浅田さんはそうではなく、誰にも(あるいはわたしに)見えないところでじつはクリエイティブであり、見えるところではただ敢て(この語は浅田さんにふさわしい言葉である)「凡庸な」役割を演じておられているのかも知れないが、しかし氏ともあろう人が、「敢て」そんなことをしなくてもよいのではないかともわたしには思えるのだが。って何もしていない平凡なわたしごときがであるけれども。

昨日のエントリーで「趣味のタコツボ的島宇宙」とか何とか考えていたのを読み返して、ふと最近内田樹が「コモン(共有地)の再生」ということをしきりと言っているのを思い出した。我々は「考えることにおける共有地」を失っている、ゆえにそれは再生されなければならない、というものである。ごもっともといえばそうなのだが、こういう有り様になっているのにはもちろんしかるべき理由というか原因というかがあるのだよね。つまりは、皆んな膨大なコンテンツの中からランダムに選択してそれらを(ほとんど意味なく)享受するということを常習としているからそうなるのである。それが我々の生活の基本になっているのだ。コンテンツは多すぎて、そこに便利に利用可能な平坦なコモンを形成するのはふつうの人間(凡人)にはムリなことである。困った困った。

しかし、「コモンの再生」ということはいうなればわたしが学生のときから延々とやってきたことでもある。それで、ここまできて自分の凡人たることを思い知らされているのであるが、まあそれはどうでもよい。わたしは、簡単には沈まない船を作るという、中沢さんのやってきたことに共感し続けてきた。船を作る人もいず、作られようとしても簡単に沈んでしまうそれしかない中で、氏の営為には勇気づけられ続けてきたものである。

昼食に、自家製の切り干し大根ににんじんとアミエビと油揚げと胡麻油を合わせて炊いたものを食べる。おいしい。
曇っているけれど今日は暖かい。畑にオオイヌノフグリの淡い青が目立つようになってきた。


珈琲工房ひぐち北一色店。オーウェルのエッセイ集を読む。知識人の「進歩的に見られたい」という欲望が人に如何に自分が思ってもいない惰性的発言をさせるかということをオーウェルは繰り返し指摘するけれども、いまのPCも同じことだと思う。ただそれは、もはや知識人に限ったことではないのだ。いまは「進歩的」たることを表明することを強要される時代といってもいいかも知れない。厄介な話である。

ローソン岐阜北一色店に車を駐めて、散歩。駐車料金は「マルナカ コクノアルレアチーズケーキ」3個300円。以下平凡写真。


咥えタバコで自転車に乗っていたおっさんがペッと捨てていったもの。バカだ。






以上、高校生のときに自転車で帰りに通ったりしたあたりなのだが、記憶とまったくちがってしまっている。その後の発展の証拠というわけだろうか。

夜。
録画しておいた、NHKスペシャル「2030未来への分岐点」第1回「暴走する温暖化 "脱炭素"への挑戦」を見る。
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なかなかよくまとまっていて、勉強になった。どうして「2030年まであと10年で未来が決まる」のか、わたしはよくわかっていなかったのだが、番組によるとそれは「Hothouse Earth」理論というものなのだな。2030年の段階で地球の平均気温の上昇が+1.5℃を超えると(いつが基準になっているのかは番組ではわからなかった)、連鎖反応的に地球温暖化が一気に進む、ということなのだ。番組の細かいところははっきり覚えていないが、北極の氷が溶ける→氷が反射して宇宙へ逃がしていた光エネルギーが逃げなくなり、温暖化が進む→シベリアの永久凍土が溶け、そこに蓄えられている大量のメタン(二酸化炭素よりも温室効果がずっと大きい)が空気中に放出され、温室効果が進む→気温上昇がアマゾンなどの広大な熱帯雨林をサバンナ化し、植物による二酸化炭素の吸収がさらに抑えられる→南極大陸の氷も溶け、海水面が1m上昇する――というような連鎖的反応により、平均気温が一気に上昇する(2100年において+4℃)ということらしい。この理論が現実的なのかわたしに判断する能力はないが、いかにもありそうなことであるなと思った。

第15回:闇か、希望か―分岐点に立つ欧州グリーンディール(岸本聡子) | マガジン9
番組ではその対策として、EUが進めている「グリーンディール」(EGD)が肯定的に描かれていたが、このリンクによるとそれは本当に希望なのかという気もする。「グリーンディール」は脱温暖化を強力に推し進めていくために、莫大な規模の投資を各分野に対して行っていくというものだ。リンク先で「グリーンディール」に対して論者は基本的に肯定的のようであるが、文章を読むととても楽観できるものではない。グローバルな巨大資本がこぞって賛成し、膨大な投資の宛先になろうと虎視眈々とねつらっているのだ。つまり、EU官僚と既に癒着している疑いがあるということである。このままだと、巨大資本をさらに肥え太らせるだけということにもなりかねない。そのあたりの事情は、わたしはまだまったく知らないといってよいけれども。

あとは、世界の若い人たちの立ち上がりつつあること。これはまさに希望であろう。若い人たちは世界を少しづつ変えようとしている。しかし、わたしは若い人ではないし、正直言って若い人たちにあまり興味もない。わたしはクソのおっさんなので、若い人たちの邪魔をしないように、あとは自分のことをやるしかないと思っている。