山内昌之『中東複合危機から第三次世界大戦へ』/ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』

休日(山の日)。晴。
昨晩は明け方近くまでプロジェクト・オイラーをやっていた。
音楽を聴く。■ミヨー:弦楽四重奏曲第五番 op.64、第六番 op.77、第十七番 op.307 (パリジQ、参照)。

図書館から借りてきた、山内昌之『中東複合危機から第三次世界大戦へ』読了。中東での多量の人命を賭けた、殆ど幼稚とすら思えるパワーゲームの有り様がこれでもかと詳細に記述されていて、ウンザリすらした。まったくつまらない感想であるが、人間の愚かしさには限りがないという感じである。アメリカのオバマ大統領はパワーゲームに消極的であるために、本書では唯一というくらい評価が低い。著者は、アメリカにもっと介入せよと言わんばかりの記述である。それこそがリアル・ポリティクスというものなのだろう。しかしアメリカがどう出ようが、本書には記述がないけれど、中東の紛争地帯における庶民のアメリカ観は、とにかくアメリカにはウンザリしているというものなのであるが。本書に庶民についての記述が薄めなのも、特徴的だと思う。世界というのはパワーゲームだけによって決まるものなのだろうか。まあ、そうなのかも知れない。で、国家の勝手なパワーゲームによって迷惑するのはふつうの庶民である。庶民などは、犬に喰われて死ねとでもいうことだろうか。幼稚な感想乙。

碩学の書いた本書はもちろん勉強になります。多量の情報が載っており、目を通して損はないでしょう。

図書館から借りてきた、ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』読了。池田香代子訳。有名な本なので、一度は読んでみたいと思っていた。感動の書であり、人間性の勝利の本でもあるとされる。実際に読んでみてもちろん感動するところもあったが、意外だったところもあった。これはナチス絶滅収容所での著者自身の体験を、心理学者として理解するという手続きの本である。さぞかし異常心理が描かれるであろうかと思っていたのだが、基本的に人間の本性はどこにあっても変わらないものだなと感じた。著者は、人間は究極的にまともな人間かそうでない人間かの二種類しかいないと述べるが(p.145)、それはどこでも、いつの時代でも変わらないことであろう。これは大変にきびしい認識である。どう見ても人間性の勝利であるとは言えない。人間はよくもなく悪くもなく、まあそこそこの存在だろうという、一種アマい考えを打ち砕くからだ。だからこそ衣食住が足りるというのは重要なことなのであり、そうでありさえすれば、我々は過酷な真実に直面しないでも済む。また、戦争は人間性の苛烈な真実を明るみに出してしまうという観点からも、決して許容してはいけないのである。
夜と霧 新版

夜と霧 新版

なお、邦訳の題名の「夜と霧」であるが、これは日本語訳だけのそれであるようだ。原題を直訳すれば、「心理学者、強制収容所を体験する」というようなものだそうである。