『田辺元・野上弥生子往復書簡(上)』『同(下)』

曇。
あんまり寝ていられなくて、早く起きる。まだ少しタルい。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第八番K.246、第十二番K.414(ゼルキンアバド)。悪かろう筈がない。

Piano Concertos

Piano Concertos

■マリピエロ:Sinfonia del mare(デ・アルメイダ)。
Symphonies Nos. 3 & 4

Symphonies Nos. 3 & 4


薬を飲んだら、昼までずっと寝てしまう。汗だく。
田辺元野上弥生子往復書簡(上)』読了。西洋の作家・哲学者たちには往復書簡という形式はめずらしいものでも何でもなく、様々なものが膨大な量出版されているが、日本ではあまり思い当たらない。その寥々たる中でも、その高貴さ、内容の充実で、田辺元野上弥生子のそれは、特筆すべきものに感じられる。共に連れ合いを亡くした後の、晩年の往復書簡であるが、呑気な文庫解説にもあるように、二人の間に一種の恋愛感情がないとは云えないだろう。しかし、お互いにそのようなところに踏み込むことなく(そうするには、二人はあまりにもものがよくわかっていた)、お互いを深く気遣いつつ互いの存在を生きる糧にしたところが、この往復書簡の尽きせぬ魅力であろう。老いらくの恋を冷やかすなら、他のどうでもよい書物を読めばいいのである。うまく言えないが、これは西洋人の脂っこい書簡とはちがった、如何にも日本的な展開だと思う。それにしても、田辺元はともかく、野上弥生子もこれほどの人だとはまったく思っていなかった。自分と野上弥生子の出会いはどうも最初がよくなかったので、もう一度読んでみようかと思う。そしてこの往復書簡集は、普段ダラダラと過ごしている自分をも鼓舞せしめるような、透徹した気に満ちている。偉い人たちがいたものだ。以下下巻。
田辺元・野上弥生子往復書簡(上) (岩波現代文庫)

田辺元・野上弥生子往復書簡(上) (岩波現代文庫)

田辺元野上弥生子往復書簡(下)』読了。上巻と特に異なった感想はないが、ここでは田辺は多少元気がないようだ。それから、どうでもいいことだが、この巻の解説もあんまり感心しない。小林敏明氏は『西田幾多郎の憂鬱』はとてもおもしろく読んだが、ここではやっつけ仕事であろう。文庫解説は、解説者の鬱憤を晴らすためにあるのではない。東日本大震災もここでは余計であろう。また、「私には近代日本の哲学者や思想家がことごとくと言ってよいほどに、最後は親鸞華厳経の事々無礙をもち出してくることに、批判というより、むしろ大いなる思想的課題を感じ取る」と言って、田辺の他に西田幾多郎三木清吉本隆明井筒俊彦廣松渉丸山圭三郎の名を挙げているが、これらの人々を一緒くたにする感覚が理解できない。ここまで書いたからには、是非ともその「思想的課題」とやらを担って欲しいものだと思う。だいたい、どうして親鸞と華厳が並置されるのかね。また「最後は」の一句も疑問だ。これは、「最後は仏教に逃げた」というニュアンスを明らかに匂わせる、レトリックに他ならない。ここに挙げられた人たちの仕事が本当にそうだったのか、それももちろん検証して頂けることであろう。楽しみに待ちたい。ああ、どうでもいいことばかり書いてしまった。中沢さんの『フィロソフィア・ヤポニカ』は難解だったが、読み返さないといけないかなあ。とにかく充実した読書だった。
田辺元・野上弥生子往復書簡(下) (岩波現代文庫)

田辺元・野上弥生子往復書簡(下) (岩波現代文庫)