野家啓一『科学の解釈学』/北原晴夫、河上肇『調和積分論』

雨。のち曇。
音楽を聴く。■オネゲル弦楽四重奏曲第一番H.15。どうしてオネゲルは、こう自分に合うのか。じつに面白く聴ける。
アルベルト・ポサダス(Alberto Posadas)を聴く。収録曲は、1.『涙と優しさの暗い深淵』〜アンサンブルのための (2005)、2.『ネブマート』〜五重奏のための (2008)、3.『クリプシス』〜アンサンブルのための (2007)、4.『グロッソポエイア』〜3人のダンサー、4人の音楽家とヴィデオ、ライブ・エレクトロニクスのための (2009)。作曲者については、何も知るところがない。Wikipedia参照)では、スペイン人とのこと。ただ、演奏がアンサンブル・アンテルコンタンポランなので、聴いてみた。HMV のサイトでの紹介(参照)が、参考になるかも知れない。曲は「前衛」とすら呼びたくなるバリバリの現代音楽で、現代にもまだこんな作曲家がいたのかと、ちょっと驚いた。ノイズ音響系と静謐さの混淆というか、相当にユニークである。久しぶりに、現代音楽を聴いて「ちょっとしんどいな」と思ってしまったくらいで、わかりやすい曲に飽きたという人には、おもしろく聴けるかも知れない。アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏は、見事というか、よくもこんな曲をやったと、ちょっと唖然とさせられるほど。なお、ノイジーではあるが、電子音響はあまり使っていないようで、オーケストラだけでこういうノイジーな音楽をやる作曲の姿勢というのは、今では(よく知らないが)めずらしいのではないか。ふぅ。
 なお、アマゾンでは MP3ダウンロードもあり(参照)。こちらの方が手軽かも。

ポサダス:涙と優しさの暗い深淵/ネブマート/クリプシス/グロッソポエイア

ポサダス:涙と優しさの暗い深淵/ネブマート/クリプシス/グロッソポエイア

昼過ぎ、ネッツトヨタへ、スタッドレスタイヤへの交換のために赴く。車体の多少目立つ傷を埋めてもらったり。ETC車載器のカタログを貰ってくる。

野家啓一『科学の解釈学』読了。感想は昨日の日記で。後はメモランダムとして列挙する。かなり読み込んだが、完全に自分勝手なやり方で読んでいるので、注意。

・自分には、「意味」というのが何なのか、よくわからない。いわば、「意味の意味」がわからない、と云ってもいい。ただ、個々の意味には、強度の濃淡があるような気がする。語の強い意味と、弱い意味。
・「理論負荷性」とは、世界の分節が固定されがちなことを指している。世界の分節の仕方は、個々の存在において唯一かつ普遍的なものではないのに、一旦固定化されると、世界の見方を定型化する。
・本書のウィトゲンシュタインからの引用に、「『この記号を矢として見る』といった言葉を理解できず、それを使用することを学びえない人のことを私は<意味盲>と呼ぶ」(p.383)とあるが、意味というものは語にあるのではないか。ここでは明らかに、意味が「文」にあるように捉えられている。
・本書三八七頁に、「見る」と「として見る」の区別がしてあるが、通常はこれらは一致する。しかし、一致しない場合が「記号」への意識であり、分節性とシニフィアンの乖離である。
・「本質」というか「イデア」というかは、存在するとしか思えない。しかし、それは何なのか?
・本書で言う「アスペクト」とは、むしろ単純に「記号」と言うべきではないか。

図書館から借りてきた、北原晴夫と河上肇の共著『調和積分論』にざっと目を通す。本書の目標は、第五章の「de Rham コホモロジーと de Rham の定理」と第六章の「ラプラシアンと熱方程式」であろうが、それは今の自分にはちょっとむずかしすぎる。第四章の「接続と Riemann 多様体」は一般相対性理論で多少馴染みがあるので、そこを仮の目的として、多様体と第三章の「ベクトル束と切断」がある程度理解できればと思う。特にベクトル束vector bundle)をきちんと理解したい。そのためには、本書は少々簡略に書かれていてわかりにくいので、他著で補う必要があるかも知れない。
 しかしまあ、前途は遼遠である。基礎もあやふやな理解のところがあるので、一歩一歩超やさしいところから行きたい。
調和積分論 (現代数学ゼミナール)

調和積分論 (現代数学ゼミナール)

下に、体とベクトル空間の定義をメモしておく。備忘録。