片山杜秀『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』 / アンリ・ピレンヌ『中世都市』

深夜起床。

図書館から借りてきた、片山杜秀『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』読了。ああ、やっと読み終えた。あとがきを読んでみると、本書にまとめられた文章は最初わりと気軽な連載のつもりで書き始められたそうである。そしたら、最初の三善晃がちっとも終わらない。ちょっと読み返してみると、アニメ「赤毛のアン」の音楽の話が延々と続くので、そこで三善晃的「すし詰め」のコンセプトがようやく出てくるのである。結局、三善晃だけで本書のほぼ 100ページを使うことになってしまった。同様の感じで、本書は大著になってしまいました。しかし、ここまで書いても片山さんはまだ語り足りないのではないかという気がする。全十四章に芥川也寸志柴田南雄も入っていないし、それにそもそも武満徹が入っていないではないか。まあ、武満徹はそのうち書かれそうであるが。
 本書の感想はこれまでいろいろ書いてきたので特に新しく書くことはありません。まとめておけば、片山さんはめちゃめちゃ理屈っぽい。ここまで理屈で音楽を聴いているとは、わたしには驚きである。なので、実際の片山さんの説明が、自分にはじつはよくわからないし、疲れる。疲れるのはわたしの器が小さいせいでもあるが。それから、理屈の説明が過剰で、どんどん言葉が溢れてくる。まだ書き足りないのではというのは、そういうところから感じる。で、その過剰が、わたしにはつい笑えてしまうことも既に書きました。怒られるかも知れないのだが、片山さんは本当にマジメに書いているのだろうか、巫山戯ているのではないかという疑惑が否定できない。いまだに、本書を読んでいて笑ってよかったのか、疑問であります。
 いずれにせよ、たいへん読み応えのある大著ができあがってしまったものだ。片山さん以外、誰も書けない本であることは確実でしょう。そして、わたしには既に片山さんが「権威」として認識されている。もはやひれ伏すばかりであります。武満徹吉田秀和についてもお願いしますのです。

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

しかし、本書の章題になっている全部で十四曲だが、これらわたしはたぶん一曲も聴いたことがないぞ。まあ、そこまででなくとも、本書を読む人の少なからずが似たようなものなのではないかと思われる。わたしは極ふつうのクラシック音楽好きだと思われるので、日本人作曲家というのがさほどにマイナーであることが知れる。日本人の作曲したクラシック音楽は、同様の小説や絵画とは比べものにならないくらい聴かれていなくて、だから本書の「鬼子」という言葉が出てくるということになっているのだ。


NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第三番 BWV1016 で、ヴァイオリンはルノー・カピュソン、ピアノはダヴィド・フレイNMLCD)。■モーツァルト弦楽四重奏曲第二十二番 K.589 で、演奏はアレクサンダー弦楽四重奏団NMLCD)。■ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第七番 op.108 で、演奏はカルドゥッチ弦楽四重奏団NMLCD)。何かちょっともの足りない演奏。満足できない。こちらがいけないのかも知れない。■ルクーのヴァイオリン・ソナタ ト長調で、ヴァイオリンはブルノ・モンテイロ、ピアノはジョアン・パウロ・サントス(NML)。ルクーって 24歳で亡くなっているのか。これ、既に立派な曲だが。

Music for Violin, Cello a

Music for Violin, Cello a

■ベント・セアンセンの「さびれた教会の庭」、「葬送」で、演奏はチカーダ・アンサンブル(NMLCD)。■黛敏郎(1929-1997)で、「フォノロジー・サンフォニック —交響的韻律学—」、「バッカナール(饗宴)」で、指揮は福村芳一、香港フィルハーモニー管弦楽団NML)。
黛敏郎:作品集(日本語解説付)

黛敏郎:作品集(日本語解説付)

 
曇。
午前中、散髪。すっきりした。歩いて帰ってきたとき、川に鵜がいた。いろいろいるなあ。

雨。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー。長谷川四郎の『ボートの三人』という小説を読む。題だけ見るとイギリスのあるユーモア小説を思い出すが、この小説はまったくわけがわからない。しかし、わたしはこういうわけのわからない小説はかなり好きである。わけがわからないというだけではもちろんおもしろくないわけで、何かの魅力があるのだが、それはわかるふりをしないことにしよう。ただ、戦後ということが意識されているのはまちがいなく、その光景が「シュール」だということだ。残りを読むのが楽しみである。

アンリ・ピレンヌ『中世都市』読了。佐々木克巳訳。非常におもしろい本だった。1920年代に書かれた古い本であるが、そして翻訳もかなり前のものであるが、卓越した歴史書であることは素人の目にも明白である。わたしはアナール学派のことはよく知らないが、本書の地中海(とイスラーム世界)を重要視する観点は、アナール学派にも通じるものなのであろうか。本書の訳者あとがき、また文庫解説でも本書が現代においてどこまで学説として通用するのかという点はよくわからない。いずれにせよ名著と讃えられている。なお、訳者あとがきは立派なもので、いろいろ教えられるし、訳者の力量もまたよくわかる。文庫に付加された現代の解説は、もちろん教えられるところはあるけれども、しかしさほど大したものとは思えない(何様)。それは解説者に力がないというよりは、もはや学問に「文章」というものが必要なくなっていることを示すのであろう。ホント何様ですね。

中世都市 社会経済史的試論 (講談社学術文庫)

中世都市 社会経済史的試論 (講談社学術文庫)