中井久夫『統合失調症の有為転変』/長嶋有『ジャージの二人』

日曜日。晴。
中井久夫統合失調症の有為転変』読了。大著というわけではないが、日曜日の丸一日を費やしてしまった。中井先生の書かれるものは、いつもふうふう喘ぎながら読む。ちなみに、自分は中井先生の本を、精神病に関する知的興味から読むのではない。そのことは、断っておこうと思う。しかし、中井先生の本を読んで、知的興味を感じ、精神科医になろうという若い人が出れば、それは素晴らしいことだ。
 さても、本書にもちらっと出てくるが、アメリカの精神医学界(に限らないだろうが)はひどいことになっているようだ。病院が保険会社に買収され、経営されることで、治療の選択が医師の手を離れてしまったのである。まさに、『貧困大国アメリカ』の話そのままだ。もし日本もそうなったら、どれだけ優秀な医者がいてもオシマイである。中井先生の本の話としてはあまり相応しくないことを書いてしまったが、先生の本業の話が素晴らしいことは、多くの人にわかっていることでもあるから、脱線した。本書は繰り返しが多くなっているのが先生の年齢を感じさせないでもないが、相変らず緻密な論考もあり、また過去の回想は却って貴重である。先生の工夫された、絵画療法の話が多い。統合失調症患者ほど、どんなに苦しくとも、自分の自我にこだわる人たちはいない、そう先生は言う。――じつに、多くの人に手に取ってもらいたい本だ。

統合失調症の有為転変

統合失調症の有為転変

長嶋有ジャージの二人』読了。何ともさみしい小説。長嶋有の小説を読んでいると、人生に夢も希望もないように思えてくる。まあ、実際それが正しいのかも知れないが。僕は結婚というものをしたことがないが、結婚生活がこんなにさみしいのなら、結婚する意味ってあるのだろうかなどど、中学生のような感想を抱く。それでもみんな結婚しちゃうのだろうな。近年、男と女がくっついたり離れたりする日常生活を淡々と描写して、特に事件は起きないというような小説が増えてきたが、こういう小説を書かせると長嶋有は上手い。現実に存在する、取るに足りない固有名詞をいっぱい持ち出してきて、妙な雰囲気を醸しだす。これはたいそうさみしいです。続編の「ジャージの三人」も、同じようにさみしいのだが、ただこれは、最後がちょっと吹っ切れている。ハッピーエンドとは云えないが、ポジティヴでないこともない。うだうだが切れて、離婚しそうだからね。ひとつの解決にはちがいない。
ジャージの二人 (集英社文庫)

ジャージの二人 (集英社文庫)


田中秀臣先生がブログでsayaについてアツく語っておられたので、試しにそこに貼り付けてあった「漂白の旅路」という曲を聴いてみたのだが、心に何の感情も沸き起こらなかったので驚いた。完全な不感症である。自分は何にも知らないが、saya っていう名は最近よく見るし、リスペクトされているのかと思っていたのだが。正直言って、この曲に限って云えば、音楽的には何も新しいところがないと思う。まあ、そうした聴き方がいけないのかも知れないが、これは音楽的退廃ではないのだろうか。時代を引き受けている人が、こんなことでいいのだろうか。好きな人は、御免なさい。何の悪意もありませんので。