ドゥルーズ、ガタリ『千のプラトー(中)』

曇。
ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著『千のプラトー(中)』読了。自然(感情)によるリトルネロと、構想力によるリトルネロといったものを思う。後者はシステムにおける戯れであり、前者はまさしくズレであり、脱領土的だ。「音楽の最終目標として脱領土化したリトルネロを産み出すこと、そして脱領土化したリトルネロを宇宙に解き放つこと。」(p.401)これは危険であるが。「われわれは自分に十分な力があるかどうか、確信がもてないのだ。われわれはシステムをもたず、複数の線と運動をもつにすぎないからである。シューマン。」(p.402)では、シューマンは自然的なのか。大いにそうかも知れない。ベートーヴェンの音楽こそ、構想力の産物と云えよう。

千のプラトー 中 ---資本主義と分裂症 (河出文庫)

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メシアン『鳥のカタログ』第一巻を聴く。ピアノはウゴルスキ
Catalogue D'Oseaux / La Fauvette Des Jardins

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