クレア・コールブルック『ジル・ドゥルーズ』

晴。
大垣。
帰りに市民公園に寄る。紅葉は残念ながら、一日遅かった。昨日はあざやかだったから、カメラをもっていけばよかったのだが。しかしまあ、絵を書いている人がいたりとか、若い女性がベンチで読書していたりとか。
2013年秋・冬_30

図書館から借りてきた、クレア・コールブルック『ジル・ドゥルーズ』読了。國分功一郎訳。國分さんの翻訳だと思って借りてみたのだが、じつに面白かった。まあ自分のことだから、隅々まで正確に理解したというのではなくて、ドライブ感の素晴らしさに、一気に読まされたというようなものである。映画の話がかなりあるが、自分は映画がわからないので、そこのところは猫に小判だった。しかし、ドゥルーズ独特の「経験論」について論じた部分は、とても惹き込まれた。我々(主体)があって経験があるのではなく、経験こそが、「主体」も含めてすべてを創るのである。我々は、経験の流れそのものなのである(というのは、あからさまにベルクソン的ではないか)。概念も、それが経験に先立つのではない。経験こそが心に湧き立ち、概念すら形成するのだ。欲を言えば、それがどうやって概念を創るのかが知りたいが、そこまでは追求されていない。その辺は、仏教などによって探索したいものだ。
 勝手なことを書いたが、まず本書は、一応ドゥルーズの入門書である。そして、入門書にしては(?)かなりよく出来ている。読めばそれなりに、ドゥルーズをわかったような気になれる。本書のピック・アップするドゥルーズの鍵概念は、「生成変化」である。まあそこいらは、実際に読んでみて下さい。じつを云うと、わけのわからないドゥルーズの本を、ウンウン云って読むのも結構楽しいのだが。

ジル・ドゥルーズ (シリーズ現代思想ガイドブック)

ジル・ドゥルーズ (シリーズ現代思想ガイドブック)


国家は人を殺すために存在する。それ以外の国家の役割は、すべて究極的には無視できるものである。

音楽を聴く。■シューマンピアノ三重奏曲第一番op.63(グリーグ・トリオ)。この曲は効果的な演奏がなかなかむずかしいのだが、この演奏で聴くと、こんなに魅力的な曲だったかと思わせられる。特に終楽章がチャーミング。ただこれ、シューマンの書法が複雑なのだよなあ。主題がとても親しみやすい、魅力的なそれなので、もっと素直に主題を歌わせてくれるとよかったような気がする。途中で短調になるところなどは、魅力がないわけではないけれど、難渋している印象。■シューマン:三つのロマンスop.94(ポータル、ルディ)。冒頭、いきなりクラリネットの音が聞こえてきたので驚いた。普通はオーボエで演奏される曲である。自分はオーボエの方がいいと思うが、クラリネットでもまたちがった魅力はある。オーボエでは甘くせつない感じだが、クラリネットはどこか落ち着いた感じ。ただ、運動性はオーボエより劣るので、そこはきびしいけれど。(AM2:05)