マックス・リューティ『昔話の解釈』

晴。
家族で名古屋の伯母のところへ行く。一月に伯父が亡くなって初めて。伯母もようやく独り暮しに慣れてきたようで、元気になってきたので、云いはしなかったが、伯父がいないというのが信じられないような気がした。
マックス・リューティ『昔話の解釈』読了。なかなか面白い本。周知の如く、昔話というジャンルを有名にしたのはグリム兄弟だが、彼らの加えた文飾がないほうが、昔話は魅力的だという。グリム童話池内紀の訳したものが手元にあるから、ちょっと読んでみよう。昔話の解釈はユング派が得意とし、日本でも河合隼雄が冴えを見せているが、著者はユング派とは一線を画し、あまり理に落ちた解釈はしない。かなり引用に語らせて、それがまた引き込まれる。

昔話の解釈―今でもやっぱり生きている (ちくま学芸文庫)

昔話の解釈―今でもやっぱり生きている (ちくま学芸文庫)

リヒテルのピアノ、カルロス・クライバーの指揮で、ドヴォルザークのピアノ協奏曲を聴く。ドヴォルザークの中ではマイナーな曲で、自分も初めて聴くが、悪くない曲である。確かに地味で土くさいといえばそうだが、第三楽章などは洒落たところもあって、もっと聴かれてもいいだろう。真に古典的な指揮者といえるクライバーの棒も、メリハリがありかつ流麗、巨匠リヒテルのピアノも曲の魅力を充分に引き出しており、かつてネット上でこの演奏を評価しないコメントを見かけたことがあるが、これは名演といっていいと思う。