アンドレ・ルロワ=グーラン『世界の根源』 / 豊田長康『科学立国の危機』

晴。

どんな鳥か知らないが、午前中鳴きっぱなしである。


アンドレ・ルロワ=グーラン『世界の根源』読了。クロード=アンリ・ロケによるインタヴュー。まずまずおもしろかった。『身ぶりと言葉』はだいぶ前に読んだようだが、中身はまったく覚えていない。読み返すかは微妙なところだな。

世界の根源 (ちくま学芸文庫)

世界の根源 (ちくま学芸文庫)

ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ポン・デ・リングボール+エンゼルクリームボール+ブレンドコーヒー351円。豊田長康『科学立国の危機』を読む。200ページあまり読んだが、まだ300ページくらいもある大著だ。日本の科学技術研究が危機に瀕しているということが、詳細な考察によって論証されていて、それが国力(本書の指標は GDP である)の低下に繋がることも解明されている。徹底したデータ分析の書であり、統計学に暗いわたしにはむずかしい本で、著者の(一般読者向けの)解説でなんとか読めているという感じだが、膨大な量のグラフの意味するところはまあある程度わかる。ネットで頻繁に目にする、日本の研究者たちの怨嗟の声が実証されているという印象だ。統計学の充分な知識のある方なら、さらにいろいろなことが読み取れるにちがいない。しかし、本来ならこの本は、わたしのような人生からほとんど退出した貧乏人が読んでもあまり意味がない気もする。日本の政治家、官僚、エリート一般や、これからの世代の人たちに読んでもらいたい本なのだが、適切な読者の下へ届いているのか知らん。

しかし、日本の学術研究で国際的に見てもっとも貧弱な分野が社会学というのは、思わず笑った。何か日本の社会学者たちって、むちゃくちゃエラソーな雰囲気なのだが。

カルコス。玄侑さんの本の文庫化、文庫版『成城だより』など購入。


豊田長康『科学立国の危機』一気に読了。問題の分析からの帰結は、全国レヴェルで研究者(FTE : Full-Time Equivalent)を増やせ、ということ。そして、(研究費よりもむしろ)「人件費」が足りない、ということ。何か情けない話だが、おおよそただそれだけのことで、それだけのことが実現されていない。それも、「一流大学」への「選択と集中」ではなく、公的資金をもっと手広くバラマケというのだ。ここでは「バラマキ」は全然悪いことではない。だって、いまや最低限の「人件費」がないのだから。しかし、読んでいると泣けてくるくらいヒドい状況だな。本書の後半はきわめて具体的な提言で、投入すべき資金をいくら、どのように増やせばよいかということまでしっかりと試算されている(ユーモアだろうが、こうしないと「韓国」を追い越せませんよという話術があったりする笑)。そして、著者が三重大学学長だったときにどういう試みをしたか、これを踏まえての具体的提言があったりして、希望はあるのだということを見せている。実際、本書のような力作が登場したのだ、ついに世間が注目して、いつまでもこんなことが続かないと信じたいところだ。日本の世界的地位などというのはわたしには主語が大きすぎる問題ではあるが、それでも希望を信じたいと思う。他には、とにかく若い人たちに積極的に「投資」し、また彼ら彼女らが生きやすいシステムを作ることだ*1。そのためにわたしは何もできないかも知れず、エラそうなことをいうだけしかないのかも知れないが。

科学立国の危機: 失速する日本の研究力

科学立国の危機: 失速する日本の研究力

著者のブログはこちら。
blog.goo.ne.jp「つぼやき」って、磯の匂いが熱く漂ってくるかのようで、何だかおいしそうですね。

それにしても、本書を読んで思うのは、エーカゲンな、というか端的に誤った現状分析によって政策を決定したことの巨大な弊害である。国の分析だと、日本の学術は、研究費に対して論文の生産性が低いという認識である。ゆえに、サボっている研究者よりも論文生産性の高い研究者に資金を多く割り当て、サボっている奴のそれは削って尻を叩こうということになる。それが「選択と集中」である。その認識が誤っている(日本の学者の論文生産性は決して低くない)ことを、徹底的な分析と考察によって著者は明らかにしている。しかし、なかなか国の認識は改まりそうにないのが恐ろしい。そもそも、どんな研究がブレイクするか、始めからわかっていれば誰も苦労しないので、例の iPS細胞の研究ももともとは傍流の研究だったそうではないか。理系の研究を知っている方なら自明だと思うが、そもそも研究が「当たる」かどうかは、多くの分野で、じつは運の要素もかなり大きい。数学のようなものすら、そうなのである。それを考えると、研究者の数を増やすのがよいというのは、わたしなどには「コロンブスの卵」みたいな気もするくらい、自明な話のように見えてくるから妙だ。

それから、本書からわたしが密かに、また勝手に読み取ったところでは、地方の大学をバカにするなよということである。国は高度の研究はいわゆる「旧帝大」クラスの大学だけ残して、あとは「実学」でも教えておけとでもいう発想らしいが、本書の結論はそれとは正反対といってよい。地方の大学の学生がしっかりした研究の仕方を習得することは、様々な意味で国力を大きく支えるのである。また、一方で地方の産業との連携という側面もある。比喩的にいうと、東京という頭だけあっても、日本という身体は生きてゆかれないのだ。これはじつは、学術だけに関係したことではない。

*1:研究者という職に限っていえば、いまでは若い人たちが日本で研究者という道を選択するのはリスクが高すぎるのである。