マキシーン・ホン・キングストン『チャイナ・メン』

曇。
今日も早起き。これを書いていた。今日は色いろやるべきことがある予定。
マキシーン・ホン・キングストン『チャイナ・メン』読了。悪夢のような小説だった。非常に読みにくく、かつ分量も多くて、四五回くらいに分けて読まざるを得なかったほどである。中国系のアメリカ移民の話といえばまあそうなのであるが、おおよそ事実が元になっていて、かつまったく事実から離れた幻想性を見せる部分も多い。陰惨で不潔、野蛮、暴力、背信、無知、狂気。そんな単語が頭に浮かんでくるが、それが突き抜けてユーモアのようになってしまっているところもある(けれどもそれは、著者の意図したところではないであろう)。また野蛮と言っても、個人の野蛮でもあるし、国家の野蛮、歴史の野蛮、人間の野蛮ということでもある。正直言って、生きるとは不愉快であるというような要約までしたくなるような本であった。しかし、この難解な「傑作」を書く(それは特殊な英語で書かれているらしい)というのは、著者の自己治癒の過程でもあったことは想像に難くない。劣等視されたマイノリティで、「野蛮」の中で育つということ。だから、冒頭に書いた、悪夢のような印象がもたらされる。これこそが小説というべき、まさしくそういう言葉を使うなら、傑作であろう。
 なお、本書は名訳者とされる藤本和子氏の手になる翻訳であり、その文庫解説も必読であろう。この文庫解説で、自分は多少とも本書から距離をもつことができるようになった。また、本書はもちろん村上柴田翻訳堂の一冊として復刊されたものである。両氏による文庫末尾の解説対談は内容の薄いものではあるが、お二人の考えで本書が復刊されたと思うと、感謝の念を禁じ得ない。それにしても、新潮文庫も高価になってきましたなあ(まだ最安値の文庫だと思うけれど)。

チャイナ・メン (新潮文庫)

チャイナ・メン (新潮文庫)

訳文は大変な強度があって、自分のようなやわい頭には苦痛ですらあった。もちろん村上柴田両氏の仰るとおり、名訳であるのは間違いない。まことにしんどうございました。

昼からネッツトヨタで定期点検。ついでに県図書館。
ちきりんさんがブログで「パラリンピック記録がオリンピック記録を凌駕するのはいつ頃か」について関心があると書いておられた(参照)。「どー考えても人間の進化より道具(注:義手義足等のことだと推測されます)の進化のほうが早そうだもん」という理由だそうですが、もしかしたらちきりんさんに誤解があるのかも知れない。というのは、義手義足のメーカーの目標は、それらを限りなく人間の手足の機能に近づけるということであって、スーパー人間を作ることにはないからです。ちきりんさんは障害者のマルクス・レーム選手の記録が健常者の記録を上まわることを例に挙げておられますが、この文脈だと、レーム選手の記録の卓越は彼の義足の(健常者を上まわるという意味での)「優秀性」に起因するのであって、レーム選手自身の力ではないように読めます。これはちょっとヒドいのではないでしょうか。まあちりきんさんはどうでもいいのですが、なかなか障害者ってのは理解されないですよね。そういえば「攻殻機動隊」では、「義体」の誕生はこれも障害者あるいは病人の「健常者化」のためみたいな設定でした。これはフィクションだし、特に問題があるとも思えませんけれども。
そういえばレーム選手は片足が義足なのだったと思いますが、考えてみれば片足だけ「超人的」だったら、バランスがわるくて、まともに歩いたり走ったりすることもできないのではないでしょうか。その意味でも、できるだけ健常者に近づけるというのは、当然のことだと思います。