大岡昇平『現代小説作法』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータBWV1013、フルート・ソナタ第一番BWV1030(ムジカ・アンティクァ・ケルン、参照)。■ベートーヴェン:ピアノ四重奏曲ハ長調WoO36-3(アルゲリッチ、カピュソン兄弟、リダ・チェン、参照)。ベートーヴェンが十五歳ごろの若書きだが、これはまた何と楽しい演奏だろう。名手たちのいきいきとした感じが横溢している。曲も、モーツァルトが十代の頃の完璧さはさすがにないが、ものすごい才能は明らか。第一楽章は、のちにピアノ・ソナタ(何番かちょっと覚えていないが)に転用された楽句があるので、聴けばニヤリとさせられることだろう。第二楽章の情感の深さなどは、既に他の追従を許さないものがある。それにしても、ベートーヴェンという人は、一生その音楽を深化させていった人だと思う。よくもこう上手くいったものだ。さすがに史上最高の作曲家のひとりではある。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第十六番(二台のピアノのための編曲版)(アルゲリッチピョートル・アンデルジェフスキ参照)。モーツァルトのいわゆる「やさしいソナタ」に、グリーグオブリガートを付けたもの。おもしろい試みだが、曲としては原曲に遠く及ばない。アルゲリッチが一人で弾いてくれと思う向きもあるかも知れないが、まあそういう野暮なことは云わないように。■シェーンベルク浄夜(シャイー、参照)。曲が完全に消化されている。まるでポピュラー音楽を聴いているかのよう。こういうアプローチもアリだろうし、悪くない。この演奏で「浄夜」が気に入ったら、カラヤンとかブーレーズとかの演奏を聴いてみるのもお薦めである。またちがったアプローチが楽しめるだろう。■シェーンベルク:ピアノ組曲op.25、ピアノ曲op.33A, op.33B、ウェーベルン:変奏曲op.27(ピーター・ヒル参照)。ヒルのピアノは最初はさほどとも思わないのだが、聴いているうちに惹き込まれる。シェーンベルクのスタンダードな演奏と云っていいのではないか。ベルクのソナタウェーベルンの変奏曲も入ってお得。

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大岡昇平『現代小説作法』読了。本書は小説の書き方なのか、それとも小説論なのか、まあそれらの混淆であろう。非常に分析的、知的な小説理解で、緻密な小説を書いた著者らしいものだ。実際、その分析の豊富さと鋭さはさすがで、よくもこんな風に小説が読めるものだと、感心するか呆れるか、少なくとも自分などの場合とはまったくちがうなと思った。もちろん自分の小説の読み方などは素朴極まりないもので、ほとんどおもしろいかおもしろくないか、感想はそれに尽きてしまう貧しさである。あとひとつ言っておけば、本書でいう小説はいわゆる近代小説であり、本書で例えば高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』を切ることはむずかしいだろう。いずれにせよ、広義の「小説」(マンガやテレビドラマ、映画なども含む)は我々そのものを作り上げているのであり、例えば「心理」などというものは、「小説」の歴史的産物なのである。その意味で、我々自身を知るためにも、本書は有用であるとは云えるかも知れない。


科学ブログ「とね日記」さんの、『ワインバーグ宇宙論』の書評がおもしろい(参照)。とねさんのワインバーグ評、「コンピュータの計算能力に古典的な解析学の手法で立ち向かう年老いたドン・キホーテのようだ」というのが、いかにもロマンティックで好みだ。しかし、こういうのを読んでいると、最近の自分の数式把握能力の低下を感じる。たぶん今の自分では、このワインバーグの本など、とねさんのような「数式鑑賞」すらできないだろう。まあ、こういうことはこれまでも散々あったので、今の自分に合ったアプローチを考えないといけないな。本当に現代の知的世界は複雑の極みである。何とかして、できるだけ普遍的なマトリックスを生み出さないといけない。