蓮實重彦『表象の奈落』/本間正義『農業問題』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:オーボエ・ダモーレのための協奏曲BWV1055(ホメル)。ピアノなどでも弾かれる曲だが、こうしてオーボエ・ダモーレで聴くと、またちがった魅力がある。第二楽章などは、この楽器にぴったり。オリジナルはどちらなのだろう。

Oboe Concertos

Oboe Concertos

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第二番op.19(ツィマーマン、バーンスタイン)。ピアノは音はきれいだが、ただ弾いているだけのどうしようもない演奏。終楽章で少し救われた。バーンスタインもいまひとつ。■シューベルト即興曲D.935(ピリス)。■リスト:巡礼の年〜第二年イタリア(ベルマン、参照)。ふぅ、しんどかった。

イオン。BOOK OFF。川田順造先生のエッセイ集を105円で。酒屋。
図書館から借りてきた、蓮實重彦『表象の奈落』読了。副題「フィクションと思考の動体視力」。本書の七割は腹を立てつつ読んだ。そうもあからさまに頭のよいところを見せつけなくてもいいだろうという、狭量な精神ゆえである。嫌味だしね。しかし、「エンマ・ボヴァリーとリチャード・ニクソン」にはやられた。こう笑わされては、もうダメである。凄い。サールだのローネンだのトマソンだのライアンだのウォルトンだのドレゼルだのシェフェールだの、英米系の文学・言語理論の研究者たち(自分は名前も聞いたことがない人物が殆どだが)に、著者は本気で苛立っている。こちらは笑ってしまうのだが、彼らはその理論の文例に、なぜかニクソンだのレーガンだの、アメリカ大統領の名を好んで召喚するのだ。それだけでも爆笑ものなのだが、彼らはなぜかさらに、著者の愛読するフローベールの『ボヴァリー夫人』を、例に使うのである。その読みが(笑えることに)例外なく陳腐かつ紋切型、著者に読みの「素人」さ加減を糾弾されているのだが、著者は本当は、「お前ら、当の小説を読んでいないだろう!」と言いたかったにちがいない。あはは、文学・言語理論というものも、大変なシロモノですなあ。業界の楽屋裏というものがあるのだろうが、まったく愚劣なことで、気の毒としか言い様がない。まあ、著者くらい実力がなければ、できないことではある。感服しました。
 こうなってみると、残りの文章は感嘆また感嘆、自分の頭の悪さなども忘れて、素直に楽しみました。しかし、「「『赤』の誘惑」をめぐって」という文章なども恐ろしいまでの超絶技巧、こんなことは世界でも著者にしか出来ないだろうし、バルトを巡っての文章もいい。著者への態度が正反対に変ってしまう読書体験でした。昔読んだ本も読み直してみるか。でも、どうも最近のやつの方がよさそうな気もする。
表象の奈落―フィクションと思考の動体視力

表象の奈落―フィクションと思考の動体視力

本間正義『農業問題』読了。始めにTPPありきの本である。別にそれでも悪いということはない。個人的には自分は日本の農業の将来にあまり楽観的ではないが、本書はそれを特に覆すような記述は見られなかった。まあ、自分のは印象にすぎない。本書に拠っても、TPPで少なくともコメは相当に厳しそうだ。アメリカ産に対抗するには、抜本的な改革(革命?)が必要だと読み取ったが、間違っているだろうか。また、中山間地域はさらに厳しいだろう。日本の農村は、このままなら荒れ果てる可能性が高いと読んだ。誤読であることを祈ろう。たぶん、日本人なら大丈夫だ。
 それから、本書でも農協批判がなされている。もう農協批判は聞き飽きた。昔から散々云われていることである。改革できるなら、具体的にどうすれは可能なのか実行して見せて欲しい。言うだけなら自分でもできる。
農業問題: TPP後、農政はこう変わる (ちくま新書)

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