木谷明『「無罪」を見抜く』

曇。

一時間半ほどぼーっとする。以前ストレスだった部分が、ようやく少しづつ統合されてきた感じかなと思う。しかし、わたしはほんとに修行が足りないな。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第一番 BWV825 で、ピアノはアレクシス・ワイセンベルクNML)。ワイセンベルクというとわたしが思い出すのはグールドの好んだピアニストということである。甚だ人工的なピアノで、完璧にお化粧したすごい美女という感じで全然わたしの好みではないのだが、嫌いかというとなかなかそういうわけでもない。西洋というのは、基本的にこういう「人工物」なのではないか。常套句だが、じつにユニークなバッハという他ない。それでも、お化粧をしたバッハというのは、やはりわたしの好みでないのだが。

Bach: Partitas & Fantaisie chromatique et fugue

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  • 発売日: 2020/02/14
  • メディア: MP3 ダウンロード
そうそう、カラヤンのお気に入りのピアニストでもあったな。■松平頼則の「蘇莫者」、「ガッゼローニのための韻」で、フルートはエベルハルト・ブルム(NML)。

 
■福島和夫の「水煙」で、ピアノはシュテッフェン・シュライエルマッハー(NMLCD)。しかし、この人は何で作曲を止められたのだろう。■ハイドン弦楽四重奏曲ニ長調 Hob.III:63 で、演奏はハーゲン四重奏団(NML)。いわゆる「ひばり」。
Haydn: Lark/Rider Quartets

Haydn: Lark/Rider Quartets

 
小雨ぱらつく。
図書館。予約本は借りられるということなので、老母のと一冊づつ借りる。ついでに、今までのは返却。市民公園、新境川堤の桜はいまが満開だが、雨のせいか、それともパンデミックのせいか、歩いている人はまばらだった。ここ、例年はすごい人出になるのだが。

和菓子「餅信」に寄る。よくばり大福と草餅を、それぞれ三個づつ買う。意外とお客さんが来ていた。皆んな喫茶店とかはやめて、家で和菓子なのだろうか。
ドラッグストア。

おやつにいま買ってきたよくばり大福を。おいしい。

木谷明『「無罪」を見抜く』読了。強い感銘を受けた。もっとも、昨日本書について書いてみて、自分には感想を書く資格がないとわかったので、中身については書かない。
ひとつ、内容とはあまり関係のないことかも知れないが、強く印象に残った発言について。それは、裁判官の分類についてである。引用する。

…私は、これまで多くの裁判官と付き合って、裁判官にも色んなタイプがあると思います。
 これについては、私は三分類しています。一つは「迷信型」です。つまり、捜査官はウソをつかない、被告人はウソをつく、と。頭からそういう考えに凝り固まっていて、そう思いこんでいる人です。何か被告人が弁解をすると、「またあんなウソついて」というふうに、最初から問題にしないタイプです。私は、これが三割くらいいるのではないか、と思います。二つめはその対極で「熟慮断行型」です。被告人のためによくよく考えて、そして最後は「疑わしきは」の原則に忠実に自分の考えでやる、という人です。これが多めに見積もって一割いるかいないか。その中間の六割強は「優柔不断・右顧左眄型」です。この人たちは、真面目にやろうという気がない訳ではない。三割の頑固な人たちとは違うので、場合によっては、「やろう」という気持ちはあるのだけど、「本当にこれでやっていいのかな」と迷ってしまうのです。(後略)(p.334-335)

わたしは、これは一般化できると思う。様々なことにおいて、この三分法は適用できる。わたしは残念ながら「優柔不断・右顧左眄型」であろうが、じつに恥ずかしいことであると、本書を読むと痛感させられる。そして、現在はあらゆる分野において、「迷信型」が増え、「熟慮断行型」が減っているのがふつうの日本人の現状であろう。わたしはもはや頭の固まってしまった年齢であるが、いまでも少しでもまともな人間になりたいとは思わされるのである。わたしは、日本人の将来に関して、希望をほとんどもっていない。