こともなし

曇。

ごろごろ。

午前中、スーパー。

ごろごろ。

カルコス。脳みそが硬直化して、買う本があまりない。木谷明という方へのインタヴュー本と、吉田秀和さんの『ブラームス』(河出文庫)を買う。
それにしても、出版不況だか何だか知らないが、本屋は大量の本で埋め尽くされている。精神の柔軟な方には、本屋は依然楽しい場所であろう。


木谷明『「無罪」を見抜く』を読み始める。副題は「裁判官・木谷明の生き方」。日本の刑事裁判は起訴されれば99%有罪ということになっているが、この木谷明という人は、三十数例の無罪判決を出し、そしてそのすべてを確定させた裁判官というので有名らしい。もとよりわたしのまったく知らない人であったが、本屋で少し読んですぐに買った。読み始めてみたら、これが非常におもしろい。本書は木谷明氏への聞き書き、いま風にいうとオーラルヒストリーである。裁判官の実際の生態というのもとても興味を惹かれることであるが、何よりも人柄なのか、語り口というのか、これにわたしは強く惹きつけられる。木谷氏は自分は鈍才であり、努力家でまじめにやってきただけだみたいなことを言われるが、それはにわかに信用できないことはいうまでもない。木谷氏の父親はその道では超有名らしい、囲碁の木谷實であるし、そもそも氏自身東大に現役合格、司法試験も一発で合格されているのだから。けれども、よく切れるナイフのような秀才とはちがうというのは、読んでいて頷かれるところがある。なんとなく語り口が飄々としていて、おどけた感じ。ざっくばらん。家族との楽しかった思い出なども話される。で、仕事の話は、落ち着いたはっきりとした口調で、ごまかさない。わたしはこういうのを読んでいると、何でもない一節にじーんとしてしまったりする。何かが活字を通して伝わってくる感じ。さて、本書は半分くらい、150ページほど読んだ。まだまだ木谷氏は若いが、既に特徴的な判決を出し始めているようだ。続けて読む。

 
250ページあたりまで到達。主に、木谷氏が最高裁判所調査官だった頃の話を読む。おもしろくって仕方がない。わたしは裁判というものに関してほとんど無知であるが、生々しい回想を読んでいるとそれだけでだいぶわかった気になれる。もしかしたら常識なのかも知れないが、判決というのはまずは調査官が書くのである。もちろんそれを裁判官が削除・修正・加筆したりするわけだが、調査官が書いたものが大筋でそのままになることもめずらしくないようである。また、調査官が書いた「キメ」の文句をひとつ削除することで、裁判官が調査官の意図を骨抜きにしてしまったり。なお、調査官の間には「審議」という合議があってそれで丁々発止の議論が行われるので、勝手なことが書けるわけではない。最高裁だから、大法廷と小法廷とか小法廷同士の間に緊張感があったり、裁判官の性格を考慮に入れたり、結構泥くさいものだなと思わざるを得なかった。裁判官が圧力をかけてきたり、逆にサポートしてくれたり、なかなか一筋縄ではいかないのだなということである。調査官として木谷氏が担当した裁判のひとつに例の「四畳半襖の下張」事件があって、木谷氏は担当してすぐに、これが「猥雑」というのはバカバカしい(そもそも、ふつうの人?には文章がむずかしくて読めない笑)と判断するのだが、裁判官の圧力や過去の判例などでがんじがらめになっていて、そのままでは(有罪、というか棄却は)どうしようもないことになっていた。そういう場合に、知恵を絞ってどう「抵抗」するかとか、そんな世界なのである。ただ、やはりその「抵抗」が司法の流れを変えたりするので、ああ、そういう仕事なのかと納得されることがあった。いや、マジおもしろいです。

それにしても、例えば殺人事件で少年に「無罪の大きな可能性」があっても、法律論の立場から有罪にするしかないということがあるとは、わたしの想像を超えた世界だった。そして、木谷氏がやってこられたのは、そういうのをなんとか「理屈」を編み出して救済していくという仕事だったのかなと、ちょっと話が見えてきた感じがある。つまり、法律論ではなく、事実に立脚するということ。ただし、法律論、裁判の技術的な領域を無視しては、何もできない。ここのところである。