曇。
明け方に長い夢を見る。(凡庸な)小説にできるくらい、まとまった夢だった。しかし、夢の中ではわたしはまだ若いのだよなあ。現実は、あと十年もすればおじいさんなのに。
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのオーボエ協奏曲 K.314 で、オーボエはルーカス・マシアス・ナバーロ、指揮はクラウディオ・アバド、モーツァルト管弦楽団(NML)。
■モーツァルトのピアノ協奏曲第二十四番 K.491 で、ピアノはクララ・ハスキル、指揮はヴィクトル・デザルツェンス、ローザンヌ室内管弦楽団(NML)。1956年のライブ録音。■ベルクのヴァイオリン協奏曲で、ヴァイオリンはクリスチャン・フェラス、指揮はエルネスト・アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団(NML)。1957年のライブ録音。Berg/Stravinsky: Vln Concertos
- アーティスト:Ferras,Suisse Romande,Ansermet
- 発売日: 2005/11/21
- メディア: CD
一時間あまりぼーっとする。
山形さんのブログを読んでいると書評に「Executive Summary」がついているなあと思っていた。山形さんとは全然関係ないのだけれど、「Executive Summary」ってのは、レポートとかの「要旨」のことであるというのは、あらためていうまでもない。ところで、この「要旨」を、何で英語ではそんな風にいうのかなあと、そのブログを読んでいたらふと思った次第。だって、executive って、会社とかのえらい人のことだものね。たぶん、えらい人がいちいち中身をすべて読まなくてもいいように、下々の者は梗概をつけておけということなのだろうなあと、世間のことをまったく知らないわたしは思いました。
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太田光&中沢新一『憲法九条の「損」と「得」』読了。おもしろかった。わたしは本書を中沢さんへの興味から読んだのだが、本書はむしろ太田光の本であるといってもよいかも知れない。本書は『憲法九条を世界遺産に』の続編であると考えられるが、ベストセラーになった前著ほどは売れない気がする。本書は憲法九条の「改憲派」でも「護憲派」でもなさそうだ。そうではなく、憲法九条論議が低調になってつまんない、なのにこの盛り下がった中で改憲するの? 碌なことにならないよ、という本だと思う。安倍首相の「自衛隊明記」くらいでいいんですか? と。ここでどうでもよいわたしの憲法九条へのスタンスを記しておくと、国連第一主義と国際法への矛盾という点から改憲もやむなし、というものであるが、本書のように「矛盾いいじゃん、おもろいじゃん」という無責任発言には虚を突かれた感じ。わたしも日本人なのに、日本人的いいかげんさ(これこそ本書の主題であるといってよい)を忘れていたか、と思ってしまった。それから、本書の「リベラルは時代に合わなくなっている」というのは、わたしが家伝のリベラル派であるがゆえにしょっちゅう感じていることである。結局、リベラルは正義を語るからな。わたしはそれは、生理的にダメだ。わたしは、日本人はエーカゲンだ、もっとだらしなくやれというのは、本当にそうだと思う。ツイッターなどを見ていても、いまの若い人たちは合理的すぎる感じ。知恵がないというか。しかし、合理性も知恵もない我々の世代💩よりはずっとマシだとも思うが。
太田光のあとがきに、中沢さんとひさしぶりに会っても、特に話すことがないほど(憲法九条のことについて)二人とも冷めていた、とあるのはなるほどと思った。わたしもまあそうなので、あまりやる気がない。安倍首相すらもたぶんそんな具合なのに(「自衛隊明記」でよし)、そんなので憲法を変えてしまってよいのか、というのは、もう一度ここに記しておこうかと思う。「戦後レジームからの脱却」は、そんなことでは達成されない、と。🐱なお、太田光も中沢さんも、論理的に語ろうとすればどこまでもそれでいける人というのも記しておこう。それでも、エーカゲンがよし、なのである。というか、論理的とエーカゲンは対立項ではないのだ。数学が情操的であるように。また、モヤモヤを記号で晴らしてしまうことが、常によいことだとは限らない。
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夕方、雨。
■モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲 K.299 で、フルートはペーター=ルーカス・グラーフ、ハープはウルズラ・ホリガー、ローザンヌ室内管弦楽団(NML)。極美の音楽。
Mozart: Double Concerto for Flute Harp & Orchestra
- アーティスト:Mozart, W.A.
- 発売日: 2013/01/08
- メディア: CD