マフムード・ダルウィーシュ『パレスチナ詩集』

未明起床。まだ外は真っ暗だ。
起きてトイレへ行ったら、虫のすだくのに気づく。こんな時間でも、主要幹線道からは車やバイクの音が聞こえてくる。(05:14)
 
小雨(こさめ)降る。

まだ朝顔が咲く。十月なのにな。
お、カルガモがガアガアいってるぞ? 季節が替わり、鳥たちが帰ってくるな。そういや、朝歩いているとき、ウシガエルの声を聞かなくなったと老母がいっていた。
 
 
iPad miniNHK+ のアプリで、NHKスペシャル「“正義”はどこに ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル~」を観た(10.6 放送)。今日でハマスによるイスラエル攻撃のテロが起き、ガザで戦争が始まってからちょうど一年になる。NHK の鴨志田郷記者によるガザ戦争の Nスペはかつて 1.30 に観て、非常によいものだと思った。
 今回のレポートは、それにも増して絶望的な内容になっている。イスラエル国内では、戦争に反対する人たちへの、あからさまな迫害が進んでいる。また、ガザへの入植(完全な国際法違反である)への煽動までが、イスラエル国内で平気で行われるようになってきた。事態は確実に「悪化」しつつあるらしい。
 すべては「正義」の名の下に行われている。言葉が人々を分断し、同じ人間として、ただ仲よくひとつの場所を共有するということが、できない。言葉こそが、人間の根源的な「悪」の源泉ではないかと、そんな風に思えてしまう。番組内でインタビューに応えて、「イスラエル自衛権を理解する」アメリカの国連次席大使は、「我々は常に国際的な正義の理念の提唱者であり続けている」といっていた。
 わたしはとりとめもなく思う。我々がここに見る「理解しかねるほどの不寛容」は、自分たちに根源的には「正義」が存在していないことを、イスラエル人たちが無意識、あるいは潜在意識で認めてしまっているからではないかと。また、欧米人には、自分たちの過去の反ユダヤ主義への(後ろめたい)視線がある。だからこそ事態はエスカレートし、不寛容は治まらず、まるで「パレスチナ人の絶滅」を志向するかのような、信じがたい不寛容が跋扈するのだと。わたしは正直いって、この番組を観て落涙せずにはいられなかった。そして我々もまた、この惨状を放置している。
 

 
マフムード・ダルウィーシュ『パレスチナ詩集』(ちくま文庫2024)読了。四方田犬彦訳。本書の元本『壁に描く』は 2006年に書肆山田から出版されたが、「現代詩人による書評はひとつも出ず、完璧に無視された」と四方田さんはいう。わたしは詩人マフムード・ダルウィーシュ(1941-2008)について何も知らない、知っているのは、本書の訳者解説(これだけでも必読であろう)で知ったことのみである。わたしにおいてもまた、人文学は死んでいる。この翻訳は、現代における稀な人文学的達成であるといえるだろう。いや、わたしにそんなことをいう資格はないのだが。

 
昼。
ガザ戦争が始まってから一年ということで、NHK「キャッチ!世界のトップニュース」では特集が組まれていた。冒頭に慶応大学の田中浩一郎という先生を招いての長い解説があって、田中教授は(わたしにとって)、言って欲しかったことをほぼすべて、ハッキリと口を濁すことなく言ってくれたという感じで、正直いって大変にスッキリした。まあ、これが話題になったりすることはないだろうが、はなはだツッコミの欠ける日本のメディアではめったにないことだったと思う。田中教授というのは、どういう方か、まったく存じ上げないのだが。
 
県営プール。少しずつプールの水が温かくなってくる。
帰りに肉屋。豚かたまり×2、テキ・カツ用豚ロース肉、(ラーメン用)焼豚を買う。
 
インスタントコーヒーに、ハッピーターンと、柿の種。
強い雨
 
夜。
U-NEXT で『君を愛したひとりの僕へ』(2022)を観る。98分。『僕が愛したすべての君へ』という作品と対になっていて、どちらを先に観るかで結末がちがってくるというもの。ネットで調べて、推奨されている順番(自分の調べた限りでは、すべて一致していた)で観ることにした。とりあえずこちらは、悲恋で、バッドエンドまでいかなくても、ハッピーエンドではない。さて、じゃあ『僕愛』の方はどうかな。なお、いうまでもないと思うが、エンドロールで観止めてしまわないように。その後があるので。