玄侑宗久『禅のアンサンブル』 / 赤松良子『男女平等への長い列』

日曜日。晴。
 
NML で音楽を聴く。■ブラームス交響曲第四番 op.98 で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。2023.1.23 にもちょっと書いたとおり、わたしが音楽を聴いていていちばん古くさく、ダサく感じられるのはブラームスである。この(ダサい田舎者である筈の)わたしでも、聴き始めはそのダサさにギョッとするほどだ。大バッハなどは、ブラームスより遥に前の音楽なのに、ちっともそんな感じを受けず、むしろ現代のどんなにオシャレでカッコいいポピュラー音楽よりもカッコいいのであるから、年代の古さゆえというわけではない。まあ、その「ダサさ」が何なのかというのは、正直いって特に追求したくもないのだが、このカラヤンの演奏で聴いていると、そのうちダサいのだかどうだかよくわからなくなってきて、その深さ巨大さと魅力に打ちのめされるほどである。終楽章パッサカリアを聴いてくれ、って感じだ。ほんと、「ダサい」ってのも、不思議なものだよな。
 それから、この演奏はカラヤンの70年代の録音であるようだが、デジタル・リマスタリングのおかげであろう、音がまったく刷新されていて、従来の「カラヤンの70年代」のイメージと随分ちがう。ここでは詳述しないが、カラヤンの70年代というと、圧倒的に美しいが、コッテリつるつるで、いわばカラヤン・トーン一色になっていて、個性が塗りつぶされてしまっている、みたいなイメージで語られてきた。しかしここでは、音の解像度が上がって、弦はザラつきすら感じるほどゴリゴリしており、一方で木管は抜けるように美しく金管は迫力満点で、じつに新鮮な響きになっている。何というか、ベルリン・フィルが最高なのだ。60年代のカラヤンとさほどのちがいはないといえるほどで、デジタル・リマスタリングが70年代のカラヤンのイメージを変えてしまうほどの出来事なのかなと、思ったことである。ま、わたしごときの再生装置で、語るのも恥ずかしいくらいのものではあるが。

結局、現代のコンテンツたちは、巨大なモダンが砕け散った破片にすぎないわけだな。ブラームスを聴いていて、そんなことを思う。
 
 
昼。
玄侑さんの『禅のアンサンブル』落掌、そのまま読み始める。最新エッセイ集かと思ったら、かなり古いエッセイ(2002~2006)をまとめたもの、しかしわたしの既読なそれはないようだ。わたしは玄侑さんが好きだ。安永祖堂老師(わたしは繰り返し読んでいる)や玄侑さんを読んでいると、いまだに日本に仏教がしっかりと生きているのがわかって、とてもありがたい気持ちになる。河合隼雄先生が危惧されたように、日本人が西洋人(特にアメリカ人)に仏教を学ばざるを得ないような仕儀に実際に立ち至りつつあるといえようが、まだ、生きた仏教者は日本に辛うじて存在しているようである。

 
夕方、酒屋へ行ってプレミアムモルツ 350ml×12 を買ってくる。ただの「モルツ」はなくなっちゃうらしいな。わたしは学生の頃からモルツ党だったのだが、いつしかプレミアムモルツしか酒屋に置いてなくなり、仕方なく(?)そちらを買うようになったのだった。
ツグミが家の横の道をてこてこ歩いていた。ツグミは歩くのである。
 
玄侑宗久『禅のアンサンブル』読了。
 
 
図書館から借りてきた、赤松良子『男女平等への長い列』読了。日経の「私の履歴書」の連載をまとめたもの。著者は労働官僚時代、「男女雇用機会均等法」(1985)の成立に尽力された方である。2022.6.21 に読んだ『均等法を作る』とだいぶ重なるところはあるが、やはり本書でも、法律を作っていくところには感動させられた。「均等法」の成立には、当時労働大臣だった坂本三十次という人の強力なバックアップ(大臣がバックアップというのもへんだが)が大きかったらしいし、中曽根首相も法律の制定自体には賛成だったようだ。とにかくこの法律には、財界や男性諸氏の反対が大きく、著者も妥協の産物であることは明確に自覚的だったが、「ザル法」でもこの法律があるとなしとでは全然ちがうと、成立に全力を尽くされたのだった。なお、その後法律は改定され、さらに強力なものになっている。しかし、それでも世界的なジェンダーギャップ指数で、いまだ日本は下から数えた方がよいという順位(参照)になっている。わたしのように一般社会と関係が薄い人間がいっても仕方がないのだが、これは日本の男性にも女性にも問題があるといえるだろう。例えばもっと女性議員が、国会にも地方議会にも必要だが、ちっとも増えていかない。これは、何がそうさせているのか。ただただ、理解のない日本男子が、悪いのであろうか。わたしは知らない。
 
 
夜。
アクセル・ワールド』第17話まで観る。
 
備忘録。坂本龍一さん死去。享年71。
本当に長い間、坂本さんの音楽を聴いてきたし、その発言も耳にしてきた。もう彼の新しい音楽も聴けないし、その発言を耳にすることもないと思うと、信じられないような感じがする。常に最先端をいく人間として、学生のときから彼を追いかけてきた、そういうことだったのだと、あらためて思う。