箱田徹『ミシェル・フーコー』

曇。
昨晩は中沢さんを読んで寝た。
 
NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第第四番 BWV1017 で、ヴァイオリンはレイチェル・ポッジャー、チェンバロトレヴァー・ピノック(NMLCD)。第一楽章はシチリアーノ。甘くて悲しい、心を打つ曲である。バッハの「シチリアーノ」というとふつうはフルート・ソナタ BWV1031 の第二楽章であるが、バッハにしてはあまりにも甘いと、いまでは大バッハの作曲とは認められていないそうである。しかし、どういうものだろうね。このヴァイオリン・ソナタ第四番にもシチリアーノがあって絶品だし、あと、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第一番 BWV1001 にも、「シチリアーナ」がある。いまは思い出せないが、他にもあるのではなかろうか。どれもよく似た甘くて悲しい曲想で、これらすべてが大バッハの曲でないのだろうか。
 
昼。
■バッハのフルート・ソナタ 変ホ長調 BWV1031 で、フルートはペーター=ルーカス・グラーフチェンバロはイェルク・エヴァルト・デーラー(NML)。件のシチリアーノ、聴き直してみた。確かに大バッハの作風でない、といわれれば、そんな気がしないでもない。よくはわからないが。なお、いまの自分の気分に合った演奏、なかなかなくていろいろ探した。これができるのがネット配信だな。この曲だけでも大量の選択肢がある。

 
しばらく雪が降ったらしいが、気づかなかった。
肉屋。いつもの豚ロースがなく、仕方がないのでしゃぶしゃぶ用の薄い豚ロースにする。あと、豚ヒレ肉。
 
夜。
箱田徹『ミシェル・フーコー』読了。副題「権力の言いなりにならない生き方」。副題は本書の内容からするとミスリードじゃないか? ここでの「権力」の語の使い方は、フーコーがこの語に込めた意味(フーコーはミクロ権力という言い方もしている)から外れた、いわば古くさい用法である。まあ、それでいけないわけではないが。
 フーコーは啓蒙ということをどう考えていたのだろうな。本書を読む限り、フーコーは啓蒙を肯定していたようにも見えるが、いずれにせよこれからの時代、啓蒙は重大な問題になっていくだろう。啓蒙もまた、強い権力の行使、知識人による民衆の「管理」であることは疑いない。