晴。
暗いうちに目覚めるも、しばらくそのままうとうとする。
メジロがしきりにチクチクいっている。
朝一、かかりつけ医のところで五回目のコロナワクチン接種。ファイザーのオミクロン株対応だった。じつは接種のことをすっかり忘れていて、老母にいわれて慌ててすっ飛んでいった。ぼーっとして、終わってるな笑。
前篇 「母親」×「後悔」という組み合わせのタブー | 村井理子×鹿田昌美「『母親になって後悔してる』が巻き起こしたもの」 | 村井理子 , 鹿田昌美 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
なるほどー、いまはいろんなタブーが打破されてきているなー。わたしはこういう発想(「母親になって後悔している」)に驚かない。そのうち、「生まれてきたことの後悔」というのも、ふつうになってくるかも知れない(いや、これは「母親になって後悔している」のタブーよりは既にふつうなのかも知れないが)。この本は図書館にあるので、そのうち読んでみよう。
本書もまた、フェミニズムが切り開いた地平の延長線上にあるのだろう。フェミニズムはいったい、どこまでいくのだろうか。
「原生的疎外」という言葉を思い出すな。人間が生きるというのは、かくも不愉快なことなのだ。
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第二番 K.280、第三番 K.281 で、ピアノはカール・ゼーマン(NML、CD)。
昼。
ウチの生姜で作った生姜シロップをお湯で薄めて飲みながら、ネットを見ている。おいしい。これを炭酸水で割ると、ジンジャーエールなんだってさ。
■ヒンデミットのピアノ・ソナタ第三番で、ピアノはカール・ゼーマン(NML、CD)。聴き始めたら、「えっ、この曲よく知ってる!」となって、どこで聴いたのかしばらく頭を悩ませた。ああ、グレン・グールドの CD にあったなと思い出して納得。■リゲティの六つのバガテルで、演奏はレ・シエクル(NML)。あざやかな演奏。実質的に管楽のための室内楽であるが、どの楽器も上手い。■バッハの「ゴルトベルク変奏曲」 BWV988 で、ピアノはファジル・サイ(NML)。ゆたさんがブログでちょっと前に言及していて、気になっていたのだが、NML に入ったので聴いてみた。いやー、つかれたー。サイが現在もっとも巨きな個性をもつピアニストのひとりであることを思い知らされる。ちまちました批評の及ぶところではない。それにしても、サイのこの曲の演奏を75分間とは、マジ疲れますよ(繰り返しが弾かれている)。いまでもこんな大きな個性が存在できるのだと、勇気づけられるところがあるな。サイは NML でたくさん聴けるな。ぼちぼち聴いていこう。
曇。ウチのみかん。
雨宮処凛さん×森永卓郎さん(その1)-マガ9対談 | マガジン9
2007年の対談。おもしろかった、で、ちょっと泣いた。
雨宮 「マガジン9条」で森永さんが書いていた、「市場原理主義者と戦争肯定者は、つながる」というのは、本当にそうだなと思いました。
森永 両方とも“愛のない人たち”ですから。
夜。
「サマータイムレンダ」第9話まで観る。緊迫感にハマってしまった…。しかし、まだ先は長い。OP、なかなかいいね。
死に戻りタイムリープは途中からあんまり重要じゃあなくなってくるんだな。というか、いかにタイムリープさせないかということが重要になってくる。それから潮はヒロインっていうんだからこのまま出てこないってことはないと思っていたが、こんな形で登場するとは。