こともなし

晴。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 で、演奏はプラジャーク・クヮルテット(NMLCD)。
 
昼食にナポリタンを作る。
 
すこし曇り気味。
水着が傷んだので、イオンモール各務原の「SPORTS AUTHORITY」にて購入。それにしても、平日の昼間から、ここのイオンモールにはたくさん人がいるな。
 
 
珈琲工房ひぐち北一色店。今日はペルーのコーヒーだって。
吉田秀和さんの『時の流れのなかで』を読み始める。「かいえ・どぅ・くりちっく」からのセレクトで、2000年に中公文庫に入ったもの。たぶん初めて読む。吉田さんが亡くなられたのは2012年か、長生きされたが、最後まで同時代最重要の(クラシック)音楽評論家だった。わたしなどは、吉田さんの著作に手取り足取りされて、音楽を聴いてきたものである。いま読んでもとにかく文章がすばらしいし(かつてはクラシック音楽を聴かないでも、その文章のよさだけで吉田さんを読む人だっていただろう)、音楽について博識かつ正確で、もうこんな人は出ないだろう。さて、片山杜秀さんは、いま吉田秀和さんのような才能が出ても、意味はあまりないだろうというようなことを書かれていたが、まあそうなのかな。確かに時代は変わり、おそろしく複雑になって、吉田さんのような全人格的教養をもった人は存在できなくなった。もはや、かつての意味での「教養」なるものが、死んだからである。吉田さんにはよい意味での「アマチュア性」があり、それがその「全人格的教養」と関係していたのだが、いまはクラシックの音楽評論も「専門化」した。そういう中で、吉田さんはどう読まれるのだろう。わたしは、まだ吉田さんを読む価値は充分にあると思うのだが。

 

 
夜。
チェンソーマン』第11巻まで読む。とりあえず完結。続きが出てもたぶん読まない。しかし、これよくアニメ化できたなあ。荒み切っている。これが累計1800万部超えの人気作だとはね。