ヴァレリー「若きパルク」(中井久夫訳) / 牧野雅彦『ハンナ・アレント』

曇。
 
中井久夫訳「若きパルク」を読む。読んだのはいつ以来か、中身はまったく覚えていなかったな。旧かなづかいでもあり、かなり古風な単語が鏤められているのが印象的である。華麗、官能的で緊張感がありつつも端正、同じ中井さんの訳されたカヴァフィスが口語を取り入れた、どちらかといえばくだけた翻訳なのとは、随分と異なる感じだ。このピンと張られた弓弦のような韻律は、まさに中井さんの圧倒的な膂力を示す。

 
 
先日初めて訪れたマーサ21へ、本屋と読書のため、また行ってみる。駐車場、平日でも結構いっぱいですな。丸善岐阜店は本がたくさんで、うれしい。買うつもりはあまりなかったのだが、たまたま講談社の「現代新書100」の実物があったので、ハンナ・アレントショーペンハウアーのを買ってみた。これは哲学・思想の入門書的新書で、中身を100ページあまりのサクッと読めそうな量にまとめたというもの。分量は減らしたけれど、値段は800円でそんなに安くはないから、レーベルとして成功するか知ら。
 
初めてマーサ21ミスドで読書。メープルエンゼルフレンチブレンドコーヒー440円。どこかちょっと落ち着かない店舗だな。
 いま買った牧野雅彦『ハンナ・アレント』を読む。アレントにはいろいろな顔があるけれど、本書ではアレント全体主義研究に絞って紹介している。硬派な記述で、簡単にサクッと読み切るというわけにはいきませんでしたね。いまの日本で全体主義?とも思われるが、ヒトラースターリン全体主義を研究することが、現代世界を理解していく上でかなり役に立つ、というのは納得させられるところがあった。アレントは「大衆」というものを国民国家によってバラバラにされた、いわばアトム化され、何にも関心を失った人間の集合体と捉えているようで、それが「全体主義」を構成するというのである。そういう「大衆」は、わたしもその一員として見做すことができるなあと感じた。「何にも関心を失った」というのは、自分の身の回りのこと以外は、と付け加えた方がよいかも知れない。
 あと、ちょっとしたことだけれど、アレントは「論理による強制」なんてこともいっているらしく、自分の問題意識とも合致しているな、って思った。世界に対する関心(=リアル、といってもいいだろう)を失った「大衆」は、判断のよりどころとして「絶対的な論理」に頼るしかなくなる、というのである。すごくネットっぽい。うん、アレント、さすがによくわかってるな、って感じ(何様笑)。オレ、アレントの『全体主義の起源』、全部は読んでいないみたい。恥ずかし。まあ、読んでもむずかしいだろうけどなあ。
 
牧野雅彦『ハンナ・アレント』読了。むずかしいが、おもしろかった。徹底して考え抜いた人間のエッセンスが、おもしろくないわけがない。でも、異論はいっぱいある、って感じでもあったが。何というか、アレントのいうことは立派すぎて、ついていけないところが多々ある。そもそも(わたしを含め)我々の大部分が、本書すら(?)充分に理解することができないだろう。我々のほとんどはそんなに頭がよくないし、そこそこの、善人でも悪人でもない、だらしないところのたくさんある、平凡な人間である。アレントは、まさにそういう人間を強く糾弾するが、わたしはそれはムリってもんだと思う。誰もが、ハイデガーヤスパースの弟子、ってわけじゃないのだ。そういう中で、我々をどうするかを考えないと、いけないんだと思う。
 

 
夜。
リコリス・リコイル」第13話(最終話)まで観る。いやー、大人気極上エンタメ、残り一気に観てしまった。つかれたー。最後、2期をぷんぷん匂わせてるし。しかし、かわいい女子高生に銃をバンバン撃たせたいという欲望丸出しのクソアニメ、幼稚だなあ。「ガンスリンガー・ガール」とかも、観てみる?