ソール・A・クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』

日曜日。曇。
昨晩、計っていないけれど、ワクチンの熱がかなり出たのではないか。なかなか眠れず輾転反側、しんどかった。明け方になってラクになってくる。
 
午前中、眠る。
 
昼寝。
脳みそカラッポで、とてつもなくバカになってる。
 
 
ソール・A・クリプキウィトゲンシュタインパラドックス』読了。読んでわたしにクリアに理解できたかは疑問だが(笑)、この手の独我論と結びついた言語哲学的アプローチは、わたしにはほとんど興味がないな。独我論というのは、所詮インテリの罹る病にすぎない。我々は他人がどう受け取るかを(無意識にせよ)考えて、言葉を発したり文章を書いたりするものだ、たとえそれがまったく無意味な「発声」であっても。2, 4, 6, 8 と来て、さて次には何が来るでしょうというとき、10 がこないような規則を考えることもできる、というのだが、それはそうだけれど、だから何なのという感じ。まあ、いいんだけれどね、そういうのも。

しかし一方で、すべての個々人の「発声」はある程度の「私的言語性」は拭えない。意味は文脈によって伝わるしかないから、個々人によるゆらぎは已むを得ない。また、個々人の使い方によっても、言葉の内包的意味は不断に創造される。ソシュールのいう「ラング」などは、極限的理想状態なのである。
 ウィトゲンシュタインからは、「比喩」というものが抜け落ちている気がするな。彼は、言葉にとって「真理」とは何かということに拘ったわけだが。「真理」とかいうと、意味は固定化されざるを得ない。「真理」と無色透明な言葉。
 
 
夜、再び発熱。
 
安永祖堂老師を読んで寝る。