大田洋子『屍の街』

曇。
夢。家に帰ろうと乗ったバスが、山の中などをぐるぐる廻って、元の場所へ戻ってしまう。どうやら、家へ帰る路線はないらしい。友人と降りてどこかへ(どこだろう)行こうと歩くが、忘れ物を取りにいったんバスに戻ると、友人ともはぐれてしまう。
 
ドラッグストア。スーパー。
ごろごろ。半分眠っている。
 
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。『コレクション瀧口修造6』の続き。調べてみたら、ブニュエル+ダリの「黄金時代」や「アンダルシアの犬」は、DVD は出ているのだな。レンタルでは無いようだ。
 
 
図書館から借りてきた、大田洋子『屍の街』読了。老母から回してもらった本。大田洋子(1906-1963)という作家はまるで知らなかった。本書はいわゆる原爆小説で、みずから広島市内で被爆した体験を描く。いまでも原爆小説として生きている原民喜の『夏の花』と比較したくなるように思われるかも知れないが、『夏の花』はもはや細かいところをあまり覚えておらず、本書を読んでいてわたしは比較しようとは思わなかった。本書は素材をナマのままぶちまけてあるところが多い感じ。死に怯えながらも、みずからの被爆を小説が書けるという意味でよろこんでいる(?)のを隠していなかったりとか、作家の業だなと思わないでもない。ただ、死体にたかっているハエを見て、ハエが(被爆で)死なずにいるのを不思議だと思ったり、三日ぶりにお茶を飲んで、全身に染みわたるほどおいしく感じたりなど、描写にハッとさせられるところも結構ある。そうそう、あと、爆発の光が青かったという、何度も繰り返される記述があるけれど、その青というのは、わたしはいままで知らなかった。原民喜の小説にもあったのか、どうなのか。病人や死者の描写はそのうち慣れてしまうが、病人が(膿で)たまらなくくさい、という記述が繰り返されて、印象に残る。また、愚かな戦争をやった愚かな日本人に対する怒り、田舎者の自分勝手さや鈍重さにいらいらさせられる(インテリ的)記述が、ところどころに挿入される。とにかく、いろいろ書いてあってごった煮という印象は拭えない。しかし、いまでは一般に忘れられている小説であるが、もう少し読まれてもよいのではないかとは思う。

屍の街 (平和文庫)

屍の街 (平和文庫)

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