養老孟司&内田樹『逆立ち日本論』 / 安田峰俊『さいはての中国』

曇り気味。

スーパー。五倍ポイントの日。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十四番 op.27-2 で、ピアノはニコライ・ルガンスキーNMLCD)。


晴。昼から県図書館。天野忠さんの詩集や、関川夏央さんなどを借りる。



「新潮」誌の中沢さんの連載「精神の考古学」第4回を読む。いよいよゾクチェンの修行の中身に入る。わたしにどこまでわかるのか心許ないが、「セムティ」の試験の内容は単純にして奥が深く、強い感銘を受けた。心の本質は「無」であり、無からやってきて無へ帰っていく、と。こう書いてしまえば、仏教の教えとしてよくある、当たり前のことになるかも知れない。しかし、それ以外には何もないのである。わたしには、無からやってきて無へ帰っていくあいだに、「現象」(これこそ無)があるように思えるが、そこのところすらわたしの迷いなのかも知れない。いずれにせよ、わたしなどはまだまだ。
 記憶や妄想(=我々の「精神活動」のすべて)を生み出すアーラヤ識すら既に、「物質」的な「現象」なのかも知れない。まあ、このあたりもわたしにはよくわかっていない。
 古い形態を残す「四大の声を聴くヨーガ」(だったっけ)も興味深い。中沢さんはバシュラールを思い起こさせると書いておられたが、これはわかる。バシュラール、それほど読んだことがないので(もう流行ではないな)、何か読んでみるか。『火の精神分析』はもっていて読んだように思うが、さてどこへしまい込んだものか。
 「新潮」誌では他に、町田康氏による西村賢太追悼文を読んだ。

ミスタードーナツ バロー市橋ショップ。メープルエンゼルフレンチブレンドコーヒー440円。メープルエンゼルフレンチが好きで、どこもあんまり置いていないのでうれしかった。『コレクション瀧口修造1』「ヨーロッパ紀行 1958」の続き。少しずつ、瀧口修造わかってきたぞって感じ。

帰りに肉屋。

夜。
図書館から借りてきた、養老孟司内田樹『逆立ち日本論』読了。対談集。

 
図書館から借りてきた、安田峰俊『さいはての中国』読了。うーん、これは読ませる。著者の本は、現在における「天安門事件」を扱った『八九六四 ――「天安門事件」は再び起きるか』を読んでおもしろかったが(参照)、本書でも着眼点(というか好奇心)のよさと体当たりの取材で、一気に最後まで読ませられた。いまの中国を、これほどナマナマしく描いたルポルタージュは、わたしは初めて読んだ。お上品でないところがいい。そして、政治に対するスタンスも考えさせられる。よくも悪くも、日本では「政治権力の遍在」というものが相対的に希薄なのかな、と思った。何というか、本書を読んでいると、中国人に比して、日本人が淡白な感じがしてくる。気のせいかな。やはり、中国にいまの日本にない勢いがあるからかも知れないが。しかし、習近平は中国で神格化されかかっているな。毛沢東と同じことで、現在の中国での毛沢東の評価も当然な気がする。