こともなし

日曜日。積雪。曇。
 
ごろごろ。
 
昼、雪。ニュースによると岐阜市で 13cm の積雪という。
 
ダークサイドに落ちた生存競争の落伍者: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
知識人たちのドロドロの怨念の世界。濱口先生のちょっと斜めからの視線も充分冷徹だが、怨念を抉り出しているのだから教育的(?)なのかな。まあ、我々一般人は、こんな汚い世界に着目しない方がいいのかも知れないけれども。と、別の方で自分の心の汚さに苦しんでいるわたしです。
 でも、当のポリティカル・コレクトネス、アイデンティティ・ポリティクスやダイバーシティは知識人発ではあるのだが、一般人も総「知識人化」するいま、我々にも人ごとでなくなっているのも確かであり。(特に、若い人たちには。)バカでいるのはほんとむずかしいな。いや、知識人とバカの「分断」はますますひどくなっているし。
 
ガンガン雪が降ってきた。
 
晴れてきた。

ツグミ

モズかなあ。

なんぞ?

 

 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第四番 op.18-4 で、演奏はドーヴァー四重奏団(NML)。

ウェーベルンの五つの小品 op.10、交響曲 op.21 で、指揮はヘルベルト・ケーゲル、ライプツィヒ放送交響楽団NMLMP3 DL)。よい。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三番 op.2-3 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNML)。

■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第一番 BWV1001 で、ヴァイオリンは諏訪内晶子NML)。これはすばらしい。曲の構造、各楽章の弾き分けなど見事で、その意味では知的なのかも知れないが、それが音楽を殺すどころか、バッハのエモーションを深く表出している。諏訪内のヴァイオリンはどちらかというと線が細めだが、それでいて熱い、感動的な演奏だ。 
 
夜。
柄谷行人『ニュー・アソシエーショニスト宣言』を読み始める。昔風の言い方をすると、柄谷行人は「大きな物語」を回復しようとしている。一方で我々は、「大きな物語」の不在に慣れてしまったし、もはや「大きな物語」が回復されることもまったく信じていない。いま信じられているのは、理念ではなく、一種の(思考の)「技術」であるか、あるいは「正義」だ。どちらが正しいのかなどわたしは知らないが、本書を読んでいて、その無意味な大言壮語(とどうしても感じられてしまう)には呆れると共に、いっそ清々しささえ感じてしまうのは確かである。若い人たちが「正義」を求めて殴りあっている毎日の光景には、それこそ現実になったディストピア感を覚えずにはいない。そう、これが現実なのであるけれども、柄谷の展望のない(ように見える)ファンタジーは、しばし現実を忘れさせてくれる。