曇。
NML で音楽を聴く。■ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第六番 op.101 で、演奏はエルサレム四重奏団(NML、CD)。この曲、こんなだったか。■ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第七番 op.59-1 で、演奏はドーヴァー四重奏団(NML、CD)。どの楽章もすばらしかったが、特に終楽章が入魂の演奏。やはりベートーヴェンはちょっとちがうと思わせられる。もやもやが少しだけ晴れたかのような感じがする。
部屋に閉じ籠もり、本も読まず音楽も聴かず、ひたすらネットで人工的な下らないものや幼稚な意見を見聞きして心を穢して、ほとほとうんざりしている。自業自得ともいうべきか。
■バッハの無伴奏チェロ組曲第一番 BWV1007 で、チェロは藤原真理(NML)。この曲集なら演奏家の全身全霊をかけてぶつかって欲しいようについ思ってしまうが、軽めの滋味あふれる舞曲として聴かせるやり方もあるのだと思わせられる。自分の実力と経験に自信をもった、余裕の演奏だ。
珈琲工房ひぐち北一色店。鬱屈するが、まだおいしいコーヒーを飲めるだけ救いだ。
猪木先生の『社会思想としてのクラシック音楽』を読み始める。第二章まで読む。大家ってのはすごいもので、圧倒される。音楽を聴くということに関しても、的確で広く正確に聴いておられて、脱帽というしかない。最近はリベラルアーツという言葉が流行りだが、口だけのカス学者たちは本書を読んで恥じるべきだろう。しかしまあそんなことはいいので、本書はコワい本でもある。例えばクラシック音楽を聴くということに纏わるスノビズムなどもしっかり指摘してあったり。高級芸術が自分にはわかるんだというような、スノビズムである。私事だけれど、わたしにはもうそんなスノビズムはあんまりないと思うのだが、でも、ネットなどでまるで聴けてない、対象を理解していない表現を見るとあまりいい気持ちにはなれないところなど、まだまだだなと思う。
本書の中身については全然書かなかったが、それこそわたしのレヴェルを超えているからね。もう少し読んで書くことができれば、また何かは。そういえば本書に、我々大衆は空疎で声の大きいだけ、あるいはエラソーなだけの人間に喜んでついていくこともさらりと指摘してあったっけ。
伊藤比呂美『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』を読む。九割笑、一割泣。アノニマスな語り口に限りなく近づいている。ふつうならこんなおもしろい本は一気に読んでしまうわたしであるが、パワーがありすぎて読み切れねえ。またあとで読む。