『フーコー文学講義』

曇。
寝坊したせいか、目覚める直前のどうでもいい夢を覚えていた。このところ夢をあんまり覚えていないことが多いのだが、やはり起きたとき覚えていたい感じがする。

我々日本人は、「無知」と「根源的に思索する力の欠如」により、バランス感覚を失っている。学者や知識人、ネット民の冷笑癖はそれだ。

ソシュール言語学におけるラングというのは、考えてみればとても奇妙なものだな。ちょっと考えると、現実に存在するのは個々のパロールのみで、ラングというものは極限的な仮想存在のように見える。しかし一方で、我々が言語というとラングのようなものを自然と考えてしまうのも事実だ。また、実際に個々人の無意識の深いところに集合的な共通性が存在することは確かで、そうでなければ一切の共感やそもそもコミュニケーション自体成り立たない。そこらあたりのことは、わたしレヴェルではそれほど深堀りできないし、これ以上何ともいえないわけだが。

我々の日々の日常が安定しているように見えるのは、それが相当深いレヴェルにあるからだ。日常は表層ではない。ゆえに、日常が不安定化するとき、それは心の相当に深いレヴェルが崩れていることになる。

https://www.shunyodo.co.jp/blog/2021/11/okatake_66/
「オカタケな日々」更新。おもしろいなあ。今度出る単行本も買うつもり。

フーコー文学講義』読了。副題「大いなる異邦のもの」。

 
早寝。