青柳いづみこ『ドビュッシー最後の一年』 / 吉田篤弘『つむじ風食堂の夜』

晴。

老両親がバカバカしいことでケンカしたので、とばっちりを喰って外へ昼食に出る羽目になった笑。

BOOK OFF江南赤童子店へ。110円文庫本で柳美里さんの少し前に話題になった小説、松浦理英子さんなど。あとは村上春樹騎士団長殺し』も文庫本でまとめて買う。

昼食はコメダ珈琲店江南村久野店にて。ミックストースト+たっぷりブレンドコーヒー1170円。青柳いづみこさんのドビュッシー論を読む。病的なまでに(これは比喩ではない)鋭敏で洗練されたドビュッシーの精神について読んでいたら、隣の席に60代くらいのおっさんたちが座って、何やら土着的で野卑な世間話を始めた途端、たちまち文章が頭に入らなくなってしまったので笑った。よかれ悪しかれ、わたしもまた(野卑ならぬ)亞インテリであることに気づかされる。
 帰りはとてもいい天気。何だか愉快な気分で、いつもは通らない道を楽しんだ。

図書館から借りてきた、青柳いづみこドビュッシー最後の一年』読了。青柳さん、いつもながら読み応えがある。みずからの精神の病的な鋭敏さに苦しんだドビュッシー。文明の爛熟。青柳さんはドビュッシーの運命をどちらかというと悲劇的に、報われなかったように書いているようにも読めるが、あとの時代に対する影響は、青柳さんのいうほどに多くないのだろうか。武満さんなんかは、ドビュッシーに対して最大級の評価をしているけれど、まあわたしはあまりよく知らないので。

青柳さんはドビュッシーの「印象派」たるところを、さらりといってのけている。

音には基音とそれに派生する倍音列がある。人間の耳は普通は基音しか聞き取らないが、犬などの動物はかなり高次倍音まで感知するという。ドミソなどの響きのよい和音は、基音のドに第三倍音のソと第五倍音のミが重ねられている。「属七」といって、耳に心地よい響きのする和音も、ドミソに第七倍音のシ♭が重ねられたものと解釈できる。その上にさらに第九倍音のレを乗せた「属九」は、ラヴェルが多用した。
 ドビュッシーはさらにその上にファ(十一度)、ラ(十三度)……とどんどん積み上げていく。これは、古典的な和声法では禁じ手だったが、ほとんどすべての音が広義の自然倍音列にふくまれている。つまり、不協和音どころか耳に心地のよい響きということになる。(p.171-172)

わたしにはわかったようなわからぬような、であるが、とにかくそういうことなのだな。だから、ドビュッシーには、「今日の不協和音は、明日の協和音」なのだった。
 それだから、敢て不協和な、聴きづらい二十世紀の「現代音楽」に比して、耳に心地よいドビュッシーの音楽は、ともすれば「保守的に」聴こえてしまうというようなことを、青柳さんは仰っているのであるが…。

吉田篤弘という人の『つむじ風食堂の夜』なる小説を、さらっと読んでみた。今日「ブ」で買ってみた本。

 
夜。
NML で音楽を聴く。■ブラームス交響曲第三番 op.90 で、指揮はクリストフ・エッシェンバッハベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団NMLCD)。よい。■アルベール・デュピュイ(1877-1967)のヴァイオリン・ソナタで、ヴァイオリンはガエターネ・プルヴォスト、ピアノはエリアーヌ・レイエスNML)。なかなかいい曲なんだが、作曲者名(日本語)で検索してもほとんど何も出てこないぞ。アシュケナージのイギリス組曲の録音があるのか。2019年というから、わりと最近のだ。第三番の冒頭を聴いてみたが、技術はかなり衰えている。が、それはまあいい。せわしなくて、ちょっと聴いていられなかった。指が回らないのにテンポが速すぎる。