名古屋の伯母に会いに行く / 本田由紀『「日本」ってどんな国?』

曇。

従兄から連絡があって、伯母がもう長くないというので、老母と名古屋まで伯母に会いに行ってきた。わたしのことはわからないようだったし、母のこともわかったのか、わからない。

各務原まで帰ってきてから、コメダ珈琲店各務原那加住吉店にて昼食。

しかし、いまの若い人たち認知科学とか進化心理学とかを相手にしないといけないのだから、大変だな。上から目線に感じたら申し訳ないが、気の毒だとしか言いようがない。いや、もちろん認知科学進化心理学もすばらしい(笑)のだが。ま、滅びるべき昭和のおっさんの戯言である。あなたたちにもっとよい世界が待っていますように。


本田由紀『「日本」ってどんな国?』読了。おもしろかった。たくさんのデータ、調査結果が提示されているのがいい。それらのデータをどう見るか、解釈するのかについては著者はかなり単純な人のように見え、ステロタイプに陥っている部分が少なくないようにわたしには思えるが、こういう入門書なのだから、それはそれで仕方がないような気もする。とにかく、「日本オワタ」を豊富なデータでこれでもかと証明しているような感じだ。日本を終わらせた世代として、個人的に忸怩たる思いがわたしにもないわけではない。
 ただ、データがしっかり提示されているという意味でわたしに本書は貴重であるが、このような事実そのものは、ネットをちょこちょこ見ている人には別に違和感はないだろう。「日本オワタ」など、当たり前でもう飽き飽きしているくらいだ。ジェンダー意識の低さ、おっしゃるとおりである。まあ、日本が経済的な競争ランキングで、1990年に1位、2020年に34位というのにはさすがにへーそんなものかと思いもしたが(p.178)。そう、ちょっと驚いたといえば、第四章「友だち」において、学校でまじめだったり成績がよかったりすると友だちが作りにくい傾向にあるというのは、そうなのだなあ。マジメはアカンのね。
 さて、ではこれらの現実を直視して、具体的に我々はどうしたらよいのか。有り体にいうと本書はそういう本ではない。事実を直視して是正していくしかない、そんな記述くらいしかないのである。でも、それはわかる。ネットでも多くのかしこい人たちが侃侃諤諤の議論をしているが、なかなか快刀乱麻を断つ対策はないのだから。根は深いのだ。ただ、その根の深さは、きっと悪いことばかりではない筈なのである。よいことばかりでないのと同じく。ふしぎの国、日の沈む国、ニッポン。そこに何かよいところがありますように。

これもステロタイプな意見、どちらかといえば「日本スゴイ」になるのだが、日本のマンガやアニメの世界での受け入れられっぷりは、やっぱり特殊だ(かかる側面は、本書では完全にオミットされている)。こういうものを(一時期かも知れないが)生み出せたというのもまた、ふしぎの国ニッポンだとわたしは思う。日本を世界標準化するというのは、そういうところを殺すかも知れない、印象論で、テキトーだが。

夜。
ショパンコンクール小林愛実の二次予選の You Tube 動画を視聴する。

曲は幻想ポロネーズ op.61、バラード第二番 op.38、ワルツ第五番 op.42、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22。一次予選と合わせて、あわてずじっくり聴かせるということが意識されていると思う。ほんとにスタイルを変えたな。以前は霊感にまかせた、没入型のピアニストだったのだが、随分とコントロールしている。そして、すごく(西洋人的な意味で)個性的だ。ちょっと、コンクールに出るということに意味があるのかと思ってしまったくらい。これなら、リスクを冒してこのような大きなコンクールに出なくてもとすら。そもそも、コンクールのレヴェルで自分の音色をきちんともっているピアニストが稀だと思うのだが。
 じっくり聴かせるというのでは、作品22の演奏などは驚いた。この曲はどちらかというと外面的な、ポピュラーなそれだと思うのだが、こうじっくり聴かせるというのはほんと変わっている。逆に、もっと派手に弾くところがあってもいいとすら思うので、ショパンにはそういうキャッチーな部分も確かにあるから。その意味では、バラード第二番が名演だった。抑えつつ聴かせながら、盛り上がるところではインスピレーションが降りてきていて、これはもう、ひとりの一流コンサートピアニストである。
 しかし、前回のショパンコンクールではファイナリストなのだから、いまさらコンクール、意味があるのかという感じはやはりしてしまう。これで優勝できなかったら、ショックなんじゃないかなあ、って心配してしまうのだが。とにかく個性的なスタイルになっているから、コンクールはリスクがあると思う。