こともなし

曇。
何か自分にひどく自信がなくてだめだーって夢を見る。ま、最近確かに日常でもそうなので、夢もよくわかるわけだが。

ネットや新聞で見るえらい人たち、えらくない人たちの立派な意見に違和感しかない自分がいる。別に自分が正しいと思っているわけではないけれど、全然共感ができない。そのせいで自信なくなっているのだな。何だか浦島太郎にでもなった気分。
 本日付の朝日新聞朝刊の、林里香さんの論壇時評が「親ガチャ」についてだったが、そもそも「親ガチャ」ってひどい言葉だよね。子供は親を選べないということの現代的な言い方の典型だが、いまや親はたんに「ガチャ」でしかないんだ。わたしは自分に子供がいないことを残念に思っている人間だが、いまの親って大変だなってつくづく思う。いや、どんな時代だって親は大変なのかも知れないが、「親ガチャ」なんて云われることを思うと、いまの親は子を生んで育てるということにどういう感覚をもつのだろう。そして、「親ガチャ」とか言っている子供たちは、将来どういう親になるのだろうか。


NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番 BWV1004 で、ヴァイオリンはテディ・パパヴラミ(NMLCD)。演奏に不満はあるけれど、やはりバッハだな。驚く。


どんよりした曇り空。わたしの暗鬱な心を映しているかのよう。
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。芝健介『ヒトラー』の続きを読む。ヒトラーの政権掌握、SA(突撃隊)解体の前まで。おもしろい。ふと、不寛容に対する不寛容が正しいとされる現在は、やはり正しいのかとか考える。渡辺一夫先生の信念は誤りだったことになるのか。

オーウェルの『空気をもとめて』という小説を読み始める。たまたま、「ヒトラー」の名が散見される。


僕だけは君たちの気持ちがわかるよ、あとの大人はすべてクソだ、と子供に媚びる大人。はーって大きな溜め息をついてしまう。僕以外の大人は君たちを抑圧する、僕は君たちの味方だ、とか。
 わたしがいうなら、どうか。大人が子供のことがわかるってのはウソだ。すべての大人は子供のことがわからない。人生は大人になっても相変わらず何だかわからないし、君たちもすぐに大人になるよ、っていうかな。大人になっても、人生が苦しいのは一緒だ。

夜。
■バッハのトッカータ ホ短調 BWV914 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。園田さんの音が好きだ。園田高弘はいまでは忘れられた一流ピアニストだ。園田にヨーロッパへ行くように勧めたのは、来日したときのカラヤンだという。■バッハのパルティータ第三番 BWV827 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。