こともなし

曇。
長時間睡眠&寝坊。どれだけでも眠れる。

いまの時代、土台をおろそかにして高く舞い上がりすぎって気もするな。イカロスのように失墜しなけりゃいいけど。そもそも、誰もがそんなに高いところに到達しないといけないのだろうか。空気が薄くって、自由に動き回りにくいのに。生命は大地にある。

ぼーっとしてからごろごろ。

結局我々平凡な市民は、政治に翻弄されるし SNS にも翻弄される。そして、我々無知な市民の SNS は、また大波となって他人を翻弄する。さてさて、わたし程度の粗雑なおつむでは、どうしたらよいかわからない。

昼から酒屋。ビールのカラ段ボールケースを一つもらってこいと云われていたのに、すっかり忘れていた笑。
酒屋の前の道の街路樹がサルスベリで、きれいに咲いていた。花の期間が長いしな(だから「百日紅」と漢字で書く)、あと強いのかな、街路樹として結構見かける。

コメダ珈琲店各務原那加住吉店。ミニシロノワール+たっぷりブレンドコーヒー890円。高カロリーだけれどシロノワール、食ったった。
 オーウェルの『葉蘭をそよがせよ』の続き。おもしろくなってきた。お金の問題。お金がなくては、腹はすくし、ミジメだし、女も寄ってこないし、インスピレーションも湧かない、と。そのとおりだが、さてオーウェルがそんな単純な(?)問題を取り扱うのだろうか。興味津々。
 お金は「第六感」のようなもので、これがないと他の感覚が働かないといったのはサマセット・モームだ。確かにふつうの人には、最低限まもとな暮らしができるだけのお金が必要なのはまちがいない。あとは、お金に関しては誰もが一家言あるので、なかなか語れないのだよね。精神分析学に拠れば、お金は糞尿と関係づけられている。オーウェルはどうこの先続けるのかな。ブルジョワの心やさしいマルクス主義者が登場したけれども。彼にミジメなインテリ主人公は毒づくのである、年収〇〇以上の人間は敵だと。その彼のお金で、主人公はパブで酒を飲むのだが。

第567回: DaiGo氏の発言とコロナ禍で深刻化する貧困、そしてこれまでの生活保護をめぐるあれこれについて。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
たまたま今日更新された雨宮処凛さんの連載を読んだのだが、お金はまず必要なところに使うべきだと思わざるを得ない。また、森永さんのこれも今日の更新だが、わたしには正論に思える。わたしにはむずかしいことはわからないが、何か、いまの日本の現状がひたすら悲しい。センチメンタルな愚者の悲しみである。
 専門家・知識人たちはお互いに殴り合っていろいろ立派なことをおっしゃっており、ついでに民衆は愚かであると(暗黙に)見下すのを忘れない。まったく立派であるなあ。また民衆もそういう立派な人が好きだったりする。

鈴木大拙を読む。大拙は「分別計較(けきょう)心」を働かせてはいけないというが、むしろ、「分別計較心」を解体してしまうというべきなのではあるまいか。現代にあって理屈を見ないことは不可能であり、それによる怒りや苦しみも不可避であるから、その怒りや苦しみをいちいち解体すること。根を絶ってしまうこと。ちがうかも知れないが。
 世界が理屈で覆われていくのは本当につらい。そして、それが正しいとされるのもさらにつらい。オレって頭いいごっこ。浅い幼稚な感情がぶつけ合われているのも、その上に高度な理性が発動しているのも、何も言えなくなってしまう。未熟である、わたしは。
 わたしは理屈でなく、「分別に基づかない思想」が欲しい。底の底まで徹底して考え抜かれた思想だ。つって、わからないよね、そんな言い方では。

疲れるから頑張んなくっていい、薄っぺらな人生でいいと、タモリは言ったそうだ。ほんとかどうか知らないが。もしタモリが言ったのなら、わかる気がする。それはそれで、本当なんだよな。


いまの人に「分別計較心」を起こすなといっても無理だ。それで隅々まで覆われているのだから、捨てろといってもまったく魅力がない。むしろ、非難されてしまうだろう。そこをどうしたらよいのか、まるでわからない。いや、そんなことを言っているだけでダメ確定なのだが。