吉川浩満『理不尽な進化』

曇。

ごろごろ。

雨。
種村さんの『詐欺師の勉強』の続き。本書を読みながら本を何冊も注文することになったな。今日も、図書館に架蔵されていない本が古書で安かったので、注文する。かつての学術書であるが、現在ではまったく無用の書。

NML で音楽を聴く。■ブラームス交響曲第四番 op.98 で、指揮はロビン・ティチアーティ、スコットランド室内管弦楽団NMLCD)。予想どおり、ブラームスの四曲の中ではいちばん芸風に合っていた。あっさり目ではあるが、なかなかよい演奏だったと思う。終楽章は迫力はすばらしい(この指揮者は盛り上げる力がある)のだが、なぜかちょっと全体として乗り切れなかったけれども。


安永祖堂老師を読む。まだまだ未熟なわたし。

吉川浩満『理不尽な進化』読了。進化論については学生の頃随分と本を読み、考えた。いまは進化論にあまり興味はないが、本書を読んで古い知識をいろいろと思い出した。本書後半ではドーキンスとグールドの「戦い」が記述され、ドーキンス派(?)の勝利が確定したとされる。へー、そうだったのか。学生のわたしも二人を読んだが、ドーキンスはほんとにクソだと思ったものである。物理学徒だったわたしは、たぶん、当時から非科学的ホーリズム(というか、ネットワーキズムとでも?)ぽかったようだな。本書の「ドーキンス圧勝」の丁寧な記述を読んでも、感想は当時とあまり変わっていないのが可笑しい。でも、著者も「ドーキンス圧勝」といいながら、ネチネチとグールドに関わっているのが本書の読みどころのひとつであろう。
 自然淘汰は進化論から目的論をパージしたが、まあそのことに文句をつける気はない。科学的であろうとすればそうするしかないからである。わたしは進化論に関してはよせばいいのにいまだに目的論に近い思考に陥っているが、ま、これは個人的なものとして墓場までもっていくやつであろう。
 なお、本書の記述は科学的であるが、いわゆる「進化の中立説」についての言及がまったくないことには驚かされた。これを考えにいれると、本書の記述もある程度変わらざるを得ないのではないか。確かに「進化の中立説」の理解には数学が必要であり、予備知識が結構大変で正確に理解すればもう専門家に近いということになるが、「進化の中立説」は既に自然淘汰と組み合わされて、ちゃんとした科学理論としてネオ・ダーウィニズムに統合されている。といっても、正確な内容はわたしも忘れてしまったが、岩波新書にきちんとした啓蒙書があるから、読み直したら思い出すだろうかな。ま、しかし、そこまで進化論に義理立てする必要もあるまい。ついでに、わたしは「ミーム」とかテキトーに口走る奴はとりあえず信用しないことを言っておこう。

「進化の中立説」についてのブルーバックスの読後感が、昔書いていたもうひとつのブログの記事にある。この本はえらくむずかしかったらしいな。あと、このブログではこれこのエントリが「進化の中立説」に触れている。