こともなし

雨。

午前中、ごろごろ。
昼食後もごろごろ。

珈琲工房ひぐち北一色店。今日はペルーのコーヒーだそう。ペルーは南米だけれど、正確にはどこにあるんだったっけとか思ってしまった。
 オーウェル評論集の続き。理性的思考が普及していけば、確かに時代が進むごとに生活はよくなっていく。それは疑いない。いまなどは、オーウェルの時代に比べれば遥かによい時代なのだろうとは思う。オーウェルは、時代の不正に対して戦ったし、いまの時代でも同じような人たちはたくさんいる。そのことはすばらしい。が。そういう人たちとは別に、いまはこんなよい時代になって、さて我々はいったい何のために生きているのだろう、という疑問も出てくる。たぶんそれは、子孫を残す、つまり、子供を作って育てるためだ、それならわかる。我々は、生命の連鎖を繋げるために生きているのだ。では、それのできなかった人は、何のために生きるか。人の役に立つためか。それとも自身の快感原則を満たすためか。とか、老齢の見えたいいおっさんが厨二病的なことをいまさら書いてしまった。こんなことは10代で解決すべきことだろうが、実際はなかなかむずかしいよね。大人になると、皆んななんとなく生きている、それがふつうだと思う。たぶん、そういうものなのだし、それがいけないとも思えない。ただ、恵まれた生活をなんとなく送っていて、それなのに生きることが苦痛であることがある。というか、生きることはよいことだけれど、どうしたって、苦痛なのだ。
 生きることにはリアルが不可欠だ。世界から隔てられて生きる、それは生きることではない。そして過剰な言葉はリアルを消していく。そして、言葉の奴隷になって生きていくということがある。それは快楽ですらあり得るのだ。そうなると、苦痛な生は必ずしも避けるべきでない、という逆説が現れる。どういうことか。

わたしは雨の日は嫌いじゃない。

夜。
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』豊浜のどか篇、梓川かえで篇を見返す。繊細なアニメ。劇場版はトラウマ展開なので、見返すかわかりません。